2000.4.1 The Board of Social Sciences

           

高齢者がたどった長期家計

―明治から昭和初期生まれの人々の実収入推移―

                            

中川 英子

 

1.はじめに

      ひとの生涯の生活は経済行為と共にある。とくに結婚しこどもを養育し、やがて老後を迎えるという家族周期の中では、この経済行為は家計構造の変動してとらえることが出来る。

  この家族周期とともに変動する家計構造は生涯家計によって表すことができる。生涯家計は一般的には家計調査資料から横断分析法1)やコーホート分析法2)によって作成されるのが一般的な方法であろう。

   図1ー1は横断分析法によって総務庁の「家計調査年報」(昭和60年、全国・勤労者世帯)資料から作成した生涯家計を実収入の推移からモデル化したものである。この図から世帯主が2529歳から6064歳まで実収入の推移が、ピークを迎える5054歳までは順調に伸び、その後5559歳からは減少していくというパターンを示していることがわかる。しかし、この生涯家計モデルには統計調査ではやむを得ない調査上の問題点がある。つまり昭和60年の一時点の資料を横断的につなげたもので、多数の同一家計を長期に調査したものから作成されたものではないという点である。そこに社会経済的要因と個別家計内部の要因が作用して変動するであろう生涯家計の姿をみることはむつかしい。

  一方コーホート分析法では時系列の資料を利用するため、あたかも実際に一家族が時代を経てきたような生涯家計モデルを作成することが出来る。

 この生涯家計モデルは、最も長期にしかも一貫してさかのぼることができる総務庁の「家計調査報告」資料を利用して作成することができる。しかしこの資料から最も長期にさかのぼることができるのは、世帯主が昭和510年生まれのコーホートまでである3) 図1ー2がこのコーホートの生涯家計モデルを実収入の推移からみたものである。昭和30年に世帯主年齢2529歳のコーホートが、平成2年、6064歳になるまでに実収入のピークを迎えたのは昭和60年に5559歳になったときである。以後、下降している。

  このコーホート分析法による生涯家計モデルと、前述の横断分析法による生涯家計モデルの実収入値を比較してみると、どちらも5559歳が昭和60年にあたり、この時点では実収入の値は変わらない。しかし例えばそれ以前の5054歳についてみると、横断分析法が昭和60年の実収入値であるのに対して、コーホート分析法では昭和55年の実収入値となっている。ここにはこの間5年の社会経済的変化(=経済成長)の影響による実収入値の差がある。

  同様なことは上昇率からみた実収入の推移にもみられる。

   このようにコーホート分析法によって作成された生涯家計モデルの実収入の推移には、社会経済的背景が反映されてより現実に近いものになっていることがわかる。しかし現実の生涯家計の実収入の推移には、この社会経済的要因に加えて個別の家計内部のさまざまな要因が作用して変動していることが予想される。

  また前述のように現時点からたどることのできる過去の統計調査資料が限定的なものであるため、現在、高齢者になっているすべてのコーホートについて、生涯家計モデルを作成することは困難である。このような家計変動は実在した家計の長期変動(以下、長期家計という)からみることができると考えられる。

  そこで本稿では社会的経済的要因と家計の個別的要因という2つの異なるモメントが、個別の長期家計でどのように作用しているのかについて、コーホート分析を加えた個別家計の事例を実収入の側面から検討することによって、明らかにしていきたい。

  個別家計を事例的にとりあげている点や、データの実質化などの点で若干の問題点は考えられる。しかし統計調査資料からその生涯家計モデルの作成がむつかしい現在の高齢者世代がたどった長期家計を限られた事例からでも明らかにすることは、例えば社会保障制度に関する世代間移転の問題を考える際などにも一つの資料を提供することになるのではないかと考えられる。

 2.長期に記録された家計を対象とした先行研究

  本稿では対象を長期に記録された複数の事例家計に求めるというものであるが、この種の研究は非常に少ないのが現状といえる。

その中で中村隆英編「家計簿からみた近代日本生活史」に収められた25編の長期家計事例には、明治末から昭和末までにそれぞれの時代を生きた人々の生活が家計記録から生き生きと描き出されて、まさに近代日本の生活史を彷彿させる事例研究集といえよう。しかし、ここに収められている事例研究は、ほとんどが長期に記録された家計を個別に分析したものである。この種の事例研究は、この25件のほかにも、それ以前の研究でいくつかある。

これらの事例研究もまた家計の長期変動が社会・経済的影響や世帯発達との関わりからもたらされることが明らかにされていて、それぞれの研究意義は深い。しかしそのほとんどが一家計事例を分析したもので、本稿で目的としているような複数の事例をコーホート別にグループ化して家計の長期変動を明らかにしている研究は見当たらなかった。

 

  3.分析方法

(1)対象とする事例家計

(1) 本稿で対象とする事例家計は前述の中村隆英編「家計簿からみた近代日本生活史」に収められた25事例中、23事例に求める。

(2)事例家計がたどった家計簿記帳期間中の時代と家族周期、および世帯主の現役時代の職業を示したのが表1である。

  事例家計は家計記録の期間中からみると、明治末期から昭和期までの約90年間に存在した家計である。また家族周期では約半数の事例家計は創設期から熟年期までの記録があり、そこには生涯家計に近い形をみることができる。しかしその他の事例家計では家族周期に欠落があったり、熟年期まで至たらなかったりして生涯家計をみることはできないが、いくつかのライフステージからなっているため、本稿の資料としては十分価値があるものと考えられる。一方、事例家計の世帯主の職業は会社員が11件、教員が8件、その他軍人1、会社役員1、医者1、公務員1となっていて、事例家計のほとんどが会社員と教員で占められているのが、本稿で対象とする事例家計の特徴である。

(2)事例家計のグループ化

  通常、コーホートは統計調査資料などでは 5年〜10年単位の世帯主年齢の集団によって示されることが一般的である。しかし本稿で資料とする長期に記録された家計の事例数は23件と少なく、すべての世代にわたっているわけでもない。そのために通常の510年間隔のコーホートとしてグループ化することは不可能である。そこで本稿では事例家計を時代別グループと生年別グループの2段階にグループ化することによって長期家計の分析を試みる。

(3)長期家計の分析方法

  長期家計に及ぼした社会経済的要因と個別的要因の分析には、次のような方法を用いる。

(1)家計資料は23事例家計で統一してみることができる実収入の推移から分析する。

(2)時代の異なる23事例家計の実収入の推移の分析には、1975年価格で実質化した数値を採用する。

(3)実収入の推移の分析には、主に個別の長期家計のピーク時の実収入と世帯主年齢との関係およびピーク時の実収入をそれ以前の最も低い実収入からの上昇率をみる。

(4)この実収入の推移に及ぼしたと考えられる際立った社会経済的要因と個別的要因を、事例家計の生活史から分析する。

 

4.長期家計の分析

(1)事例家計の位置づけ

  図2ー1〜4は1898年(明治31年)から1987年(昭和62年)までの約90年間の実収入の推移を、家計調査資料と事例の長期家計によって時代別グループの中で表したものである。尚、昭和22年以前の家計調査資料については、前述のように一貫した家計調査資料が不足しているため、入手可能な範囲の資料から、それぞれの時期の平均的な家計と考えられる世帯の実収入を採用している12)   この図からはほとんどの長期家計が平均的家計を上回る実収入の推移を示していることがわかる。(ただしK家などにみられるように、ライフサイクル上(若い時や退職後)の収入減の時期に平均的な家計の実収入を下回っている場合がある)


(2)生年別グループの長期家計

 図3ー1〜4は事例家計を世帯主の生年別にグループ毎に表したものである。個別の事例家計の実収入を世帯主の年齢階級別に5時点移動平均値によって示したものである。以下、個別の事例家計の推移の仕方を世帯主年齢との関わりなどから検討した上で、個別の家計の実収入の推移に影響した社会経済的要因と個別的要因について、それぞれの家計の時代背景と生活史から分析していきたい。尚、実収入については特にことわりがない限り、すべて1975年価格で実質化した値で検討する。

 1)明治前半期生まれのグループの長期家計

    1.明治18年生まれのグループ

  A家とB家の場合

社会経済的要因

  A家の世帯主は中将にまで昇進した職業軍人である。A家の実収入の推移は後述するH家(大正期・医者)と並んで事例家計中最も高い。実収入のピークを大正4年、48歳で少将に昇格した年に迎えている。これは明治45年からずっとあった財産収入(有価証券が主で実収入の2割〜3割以上を占めている)と、臨時収入(例年は賞与などが主だがこの年は特に勲章賞金を含めて実収入の3割程度もあった)の合計額が、この年特に実収入の約6割も占めていたことによる。また俸給のみからみたピークは退役の2年前(中将になった翌年)世帯主が54歳の時となっていて、このことからもA家における財産収入や臨時収入の比重の高さがわる。

このような財産収入と臨時収入は第一次大戦下にあった当時の高級軍人の経済的地位の高さと、大正3年から始まった第一次大戦下の好景気と大正7年からの反動不況をはさんだ時期以降の株・債権市場によってもたらされたものと考えられる。

 また大正5年から8年の実収入が51.8%にまで減少したことも、実収入のピークを大正4年にした要因となっている。これは大正5年から8年にかけての大幅なインフレ(消費者物価指数で約2.2倍上昇)によって、官吏の俸給が物価の上昇分を俸給に上乗せすることなく固定化されていたためである。

因みに名目からみた実収入はこの間、約1.2倍の増加している。またピーク時の実収入の上昇率は世帯主が30歳の時の約8倍にあたり、この大幅なインフレまでは48歳までの実収入が順調に伸びてきたことを示している。

 B家は中学校などに勤めた教員である。実収入の推移はA家と比べるとかなり低いが、当時の平均的な家計と比較すると高くなっている。これは当時の中学校教員の俸給が比較的高かったことによると考えられる。実収入のピークは退職2年前の58歳、昭和8年に迎えている(家計記録はここまでとなっている)B家の場合、昭和8年がピークとなっているが、これは@41歳から44歳まで時期が大正5年から8年のインフレ期にあたり、この間、B家の実収入も約64%にまで減少したこと、Aその後昭和6年、56歳の時にも世界恐慌による不景気でデフレとなり官吏にも減俸が実施されたことによって、B家の実収入も前年比で約4%マイナスとなったこと。などの要因が考えられる。またピーク時の実収入の上昇率は36歳時の3倍程度とA家に比べて少なくなっている。これには前述の40歳前半と56歳時の実収入減少がこの間の上昇率に影響しているためだと考えられる。

 

 

 

個別的要因

  A家の場合、@世帯主が海軍の中将という並外れた昇進をしたしたこと A妻(あるいは夫の指示による?)がその時々の経済状況を把握し、収入の多くを株式や債権などに投資・運用することによって財産収入を増やすといった家計管理能力をもっていたこと。B家の場合、当時の中学校教員の比較的高い俸給に支えられ、世帯主が中学校校長にまで比較的順調な昇格をしていったことなどの要因が考えられる。

 

    2.明治1823年生まれのグループ

 C、K,O家の長期家計

社会経済的要因(C家)

  C家は小学校の教員である。その実収入の推移は23事例家計の中でも低い。C家が最も高い40代後半でも当時の中学校教員家計に比べるとその実収入は約7割程度である。実収入のピークは昭和6年、45歳の時である。これはこの年のデフレの影響を受け実収入が名目では約97%に減少したものの、長女の結納金が実収入の約6%ほど含まれていることもあって、実質では前年比で約12%増加したためである。世帯主の名目の俸給からみると、戦前ではここで記録のある昭和14年、53歳の時が最も高くなっている。

  戦後、昭和2160歳以降の実収入は次第に増加している。昭和3069歳で再就職先を退職した年には、昭和2160歳時の実収入は約2倍以上にまで増加し、戦後の経済成長を反映している。

個別的要因(C家)

@  C家の世帯主が38歳のときにはすでに校長にまで昇格しているのにもかかわらず、実収入が低いまま推移しているのは、当時、小学校の教員の俸給が低かったこと。A  終戦後、退職後の生活にもかかわらず経済の成長とともに増加した収入を得ているのは、教員だったキャリアを生かして、青年師範学校や国立大学分校などに69歳まで勤めていたこと。などの要因が考えられる。

 

社会経済的要因(K家とO家)

  一方、K家とO家の世帯主は同じ明治23年生まれで、C家の世帯主より5歳若い55歳で終戦を迎えている。

  K家は昭和2257歳で実収入のボトムとなっているが、この年は親子3人の疎開地での生活が始まった年で、実収入は昭和18年の約15%ほどにしかなっていない。翌年、58歳で再就職、実収入は前年の約2倍になるが、昭和18年、53歳時の約3割程度でしかない。昭和30年、世帯主が65歳の時には昭和18年の約半分程度に回復している。しかしこの年世帯主は死去、その後も妻と長男の寡婦世帯の収入は夫の生前の約半分程度しかない。遺族年金などの社会保障制度がまだ十分でなかった昭和30年代のことである。

  一方、O家は小学校教員でC家同様、戦前は低い収入だったと考えられる。戦後はその後の日本の経済成長を追い抜く勢いで昭和49年世帯主が84歳で死去するまでひたすら右上がりに上昇している。その実収入の上昇率は59時の約10倍にも達している。

  このように世帯主が同じ年齢で戦後を迎えたK家とO家は戦後を境にそれぞれ右下がりと右上がりという異なった実収入の推移の仕方をしている。

 

 

個別的要因

(1) K家は戦前には不在地主や会社の役員として高い収入を得ていた家計である。しかし戦災による住居や勤め先の焼失や戦後のインフレに大きく影響され、それまので財産を食いつぶしていった。 一方O家の世帯主は戦後、大きく目減りした貯金を他人に貸し利子を得たり貯蓄に励んでいた。ここではO家の財産収入をもたらした資産増加意欲が際立っている。

(2) K家が唯一の稼得者(世帯主)の死から寡婦世帯へと移行していったのに対して、O家の場合共働きの娘夫婦(教員)との同居によって稼得者が一家に3人になっていった。ここではは他の世帯員収入をもたらした稼得者数の差がみられる。

(3) 昭和30年代の高度成長期の中でK家は寡婦世帯となってこの時代の恩恵を受けることは少なかった。一方、O家の世帯主である父親は、戦後昭和28年頃までは、定年退職後の仕事として公民館長を勤めたことから、その俸給に加えて恩給もあり、父親の収入は娘夫婦より多い。ここには父親定年退職後の就労を可能にした教員のキャリアが考えられる。しかしその後は次第にO家の主な源泉となっていった娘夫婦(教員)の収入がこの高度経済成長とともに急激に上昇、その実収入は大幅に上昇していった。ここではO家の主な世帯収入をもたらした他の世帯員収入の存在がみられる。

 

2) 明治後半期生まれのグループの長期家計

  1.明治3133年生まれのグループ

 D家とI家の長期家計

社会経済的要因

 D家は会社員、I家は主に下宿業を営む母子世帯(昭和20年夫45歳で死去)であるが、どちらも収入は他の事例家計と比較してかなり低い。しかも通常50代に実収入がピークを示すとされる生涯家計のパターンはみられず、むしろ40代後半から50代前半にかけて、長期家計の実収入がボトムになっている。このI家とD家の遅い時期にボトムがみられるのは、D家は47歳で、I家は45歳でそれぞれ終戦を迎え、その後しばらく激しいインフレ見舞われたことによると考えられる。この時期はどちらも戦後の社会経済的要因に大きく影響されていたことがわかる。

  その後D家にピークが訪れるのは、昭和31年、58歳の退職時である。このピーク時の実収入の上昇率は最も収入が低かった昭和22年に比べれば約5倍近くになっているが、昭和7年の34歳時と比べるとあまり変わらない額となっている。しかしながら退職後すぐ起こした事業が昭和30年代の高度成長期の波にのって順調だったことから、その後の実収入は高くなり、ここで家計記録のある72歳までは60代後半の8割以上の安定した収入で老後を送っている。I家の場合のピークは母子世帯になってから16年後、5人の子どもたち(長男29、次男27、次女24、三男22、三女18歳)が次々と就職して家計を援助するようになった時期で、妻が52歳、昭和37年のことである。ピーク時の実収入の上昇率はここで最も低かった昭和24年に比べると約3倍となっているが、世帯主が健在だった昭和11年に比べると約1.6倍とその伸びは小さい。しかしながらこの同じ時期(昭和30年代後半・60代前半)の実収入をD家と比べるとむしろ約1.3倍とやや高く、高齢期の収入は安定的である。

個別的要因

  D家の場合は退職後の事業が順調だったのは、退職後に世帯主の勤務先収入をもたらした事業家としての意欲と努力であったと考えられる。

 一方I家の場合は母子世帯(その後子どもたちが次々と成人に達して寡婦世帯へと移行する)にもかかわらずその収入を安定的に維持できたのは、主に事業(内職)収入をもたらした下宿業、および他の世帯員収入をもたらした子どもたちのアルバイト収入や勤め先収入であった。D家は戦前から大都市(東京都杉並区)にある借家に住んでいた。夫の死後間もない昭和24年に下宿業を行うためにこの借家を買い取り、さらにその5年後には同敷地も買い取った。ここには資産(住居の土地・家屋)購入の妻の決断と資産保有、および下宿業を可能にした大都市という立地条件、また下宿人の賄いを担う妻の能力や5人の子どもの存在の大きさなどの要因が考えられる。

 

  2 明治3942年生まれのグループ

 J家、F家、E家、G家の長期家計 

社会経済的要因

 J家は高等学校の教員、F家は会社員、E家は小学校の教員・G家は病院勤務の医師(実収入の記録は37歳時まで)である。いずれの世帯も30代後半から40代前半に長期家計の実収入のボトムを示している。J家は40歳(昭和21年)F家は41歳(昭和23年)(E家はここにある記録では36歳、昭和19年であるがボトムを経験したと思われる戦後数年の記録は欠落している)G家は37歳(昭和21年)でボトムとなっている。いずれも戦後のインフレという大きな社会経済的要因がこの生年グループに属するすべての長期家計に大きく影響したことがわかる。

  ここでは特に生涯家計に近い形で記録されているF家とE家についてみていくことにする。

  F家の実収入のピークは59歳、退職後に就職して系列会社の単身赴任先から戻った昭和41年のことである。F家のピーク時の上昇率は戦後の昭和23年のボトム時の約9.5倍にもなり、世帯主が民間企業に勤めていた勤め先収入が、この間の経済成長とともに上昇していったことを示している。またF家のピーク時の実収入は同じ時期(昭和35年から40年前半、50代後半)のE家の実収入の約2.5倍にもなる。この時期、高度経済成長とともにあった大企業のサラリーマンのF家と公務員であった教員のE家との収入に大きな差があったことがわかる。

  E家に実収入のピークが訪れるのはずっと遅く77歳、昭和60年のことである。年金収入の他に財産収入がいつもの年より多く入ったためピークとなったものである。E家のピーク時の収入はここで記録のあるうち最も低い昭和19年の約9倍にあたる。この時の実収入を同時期(昭和50年代後半、70代後半)のF家と比較するとE家がF家の約1.3倍となっていて、公務員であったE家の老後の実収入は大企業サラリーマンのF家よりも多くなっている。ここではF家、E家のいずれも定年退職後に実収入のピークを迎えていて、この世代は高齢者になってからも高度成長期による社会経済的要因がプラスに働いていることがわかる。

個別的要因

  F家の場合、79歳でまだ現役のサラリーマンとして定年退職後に勤め先収入をもたらしたものとして、当時の高度成長期を背景に発揮された世帯主の職業的能力、さらに老後生活に貸し家からの資産収入をもたらしたものとして、世帯主の家計管理能力がその要因として考えられる。

 E家の場合も定年退職後に勤め先収入(教育長として8年間)をもたらしたものとして世帯主の職業的キャリア、さらに社会保障給付をもたらしたものとして妻の障害年金の受給などが考えられる。

 

   3) 大正期生まれのグループの長期家計

    1 大正2・4年生まれのグループ

  H家、L家、N家、P家、W家の長期家計

社会経済的要因

  いずれの長期家計も戦後のインフレ時期にあたる30代が実収入のボトムとなっている。しかしその後はほぼ右上がりに上昇している。

  H家は大企業の役員まで昇進した家計、L家は中学校の教員、N家は電力会社の会社員、P家は会社員で三度の転職を経験した家計である。

  ここでは家計記録から実収入のピークをみることができるH家、P家についてみていきたい。

  H家の場合、実収入の推移は前述のA家(明治前半期・軍人)と並んで事例家計中、最も高くなっている。実収入のピークは昭和48年、60歳の時である。これはH家の世帯主が定年退職後も引き続き会社役員として勤務していた時期で、第一次石油ショックの年にもかかわらず実収入はピークとなっている。これは実際には第一次石油ショックが発生したのはこの年の10月で、この年の実質経済成長は8.8%、実質賃金も8.7%と昭和48年まではまだ景気はよかったことによる。翌49年になると実質経済成長は戦後はじめてマイナス(1.2%)、を示し、実質賃金も2.2%の伸びに留まっている。H家も昭和49年は前年、ピーク時の実収入の約98%に減少、さらに翌5051年はピーク時の約84%、76%と減少していて、大企業の役員であったH家の実収入にも、当時の石油ショックの影響が大きかったことがわかる。

 P家は32歳時(昭和21年)、38歳時(昭和27年)、50歳時(昭和39年)にそれぞれ勤め先を転職した家計である。実収入のピークを昭和46年、H家より4歳早い56歳のときに迎えている。これは50歳で転職を余儀なくされたことから、50歳前半の実収入は40代前半の約8割以下に減少したものの、その後56歳になって収入が高くなったためである。

  またピーク時の実収入とボトム時の実収入の上昇率をみると、H家のピーク時の実収入は、昭和23年(35歳)のボトムの時の約19倍にもなりその上昇率の高さが目立つ。ここにはH家の世帯主が戦後の高度経済成長の影響を強く受けた大企業のエリートサラリーマンであったという社会経済的要因が

 

 

 

考えられる。一方P家のピーク時の実収入は昭和27年、37歳時の約2.4倍にあたり、昭和48年の第一次石油ショックまではP家の勤務していた会社が高度成長によって順調に伸びていたことが考えられる。その後、実収入は60歳前半の現役時代にピーク時の約6.5割に減少しているが、これは石油ショック以降の不景気などが影響したものと考えられる。63歳で退職してからは社会保障給付が主な収入の源泉となり、ピーク時の約5割以下に実収入は減少している。この退職後の実収入は65歳(昭和55年)では同じ世代の6.5割、68歳では約半分に減少していて、P家の老後の収入が少なかったことがわかる。

 大企業の役員であったH家と再三転職を経験したP家は、どちらも同じように戦後の高度成長期の経済成長の恩恵やその後の石油ショックによる影響を受けた家計である。しかしその長期家計の実収入の推移の仕方には大きな相異がみられた。

個別的要因

@ H家は世帯主が定年退職後も引き続き20年間も会社役員などを勤めたことで急激な右上がりの実収入の推移を示した。高額な勤務先収入を高齢になるまでもたらした世帯主の職業的能力が考えられる。

A  P家の実収入の推移は50歳前半にその前後の時期より低くなっている。これはこの時期が転職して間もなかったためだと考えられる。

 

 2 大正814年生まれのグループ

  M家、Q家、R家、S家の長期家計

 社会経済的要因

 M家は高等学校の教員である。65歳で定年退職を迎えるまで一貫して公立高校に勤務している。実収入のピークはこの定年退職した昭和60年となっている。これはこの年に退職金が入ったことによる。65歳という高齢で実収入のピークを迎えたのは、教員の定年年齢が一般の企業よりも高かったことが、その要因の一つとして考えられる。

 Q家は精密機器メーカの会社員、妻にもアルバイト収入がある。実収入のピークは世帯主が定年退職した4年後の62歳の時、昭和57年のことである。これは、(1)夫が関連会社に再就職した後も退職前とあまり変わらない収入を維持していることや、(2)この年が特に妻のパート収入が多かったこと、(3)財産収入(利子、配当)が多かったことなどによる。一方、この昭和57年は第2次石油ショック以降のことであったが、経済の落ち込みは比較的軽微で翌58年には企業収益が増益となったという。Q家の実収入のピークをもたらしたこれらの要因はこの年のこのような社会経済的背景によって、もたらされたものと考えられる。

 R家は共働き(夫:会社員、妻:看護婦パート)の家計で、妻のパート収入が実収入に占める割合は数パーセントから20%以上と、2人の子どもの

教育費の増大とともに多くなっている。実収入のピークを世帯主が56歳の時、昭和56年に迎えている。しかし夫の定年退職はこの2年後の58歳の時である。夫の勤め先収入からみると定年退職時がピークとなっているものの、妻のパート収入がこの年には全くなかったため、実収入のピークとはなっていない。実収入のピークを迎えたのは妻のパート収入が最後にあった年である。

 S家は会社員で、実収入のピークは昭和60年、60歳で再就職先の退職金が入ったためである。S家も前述のM家、Q家同様、定年後の再就職先の退職金によって実収入のピークを迎えている。 しかしS家の場合は昭和52年、世帯主が52歳の時に第一次石油ショック後の不況による失業を経験し、その後第二次石油ショックの年、54歳で再就職したものである。中途採用にもかかわらず、退職金によって実収入のピークを迎えた背景には、低成長期ながらも、まだ景気のよかったこの時期の経済を反映しているものと考えられる。

  一方、実収入のピーク時の上昇率をみると、M家のピーク時の実収入はここで最も低い実収入を示している昭和25年、30歳の時の約142倍にもなる。これはM家が昭和25年、戦後の貧しい開拓農家で収入がほとんどなかった時期から、昭和27年以降、高校教員となり、高度成長期の公務員としてその勤務先収入が経済成長とともに高くなっていったことによると考えられる。Q家の場合、ピーク時の実収入は昭和36年、41歳の時の約4.5倍にあたる。この間の実収入の上昇率を世帯主の勤務先収入(ボーナスを除く)からみると約10倍となっている。これは世帯主がこの間の高度成長期とともに成長した企業に勤務していたためだと考えられる。R家のピーク時の実収入は昭和31年世帯主が31歳時の実収入の約5倍にあたる。これは主に民間企業に勤める夫の勤め先収入が昭和30年以降の高度成長期によって伸びていったことによるが、その他R家の場合は妻のパート収入が昭和41年からあったこともその要因として考えられる。S家のピーク時の実収入は昭和37年、37歳時の実収入の約2倍にあたる。この生年グループの他の世帯と比較すると上昇率があまり高くない。これはS家の世帯主が昭和37年以来、2度の転職のために世帯主の勤務先収入がこの間あまり伸びなかったためだと考えられる。

個別的要因

@ M家の場合、戦後、貧困にも近かった開拓農家から高校教員への転職がその後の高度成長期の恩恵を世帯主の勤務先収入にもたらし、急激な右上がりの実収入の推移になっている。これは当時の世帯主の教職復帰という転職の決断がその一因になったものと考えられる。

A Q家の場合、世帯主の勤務先収入は同世代の平均的な勤労者世帯と比較しても7割〜8割と低い。この収入の低さを補ったのが教育期と以降断続的な時期にある妻の妻のアルバイト収入であった。

B R家の場合も、妻がパートを始める前年の実収入は同時期、同世代の平均的な勤労者世帯の実収入をわずかに上回る程度であった。そこで2人の息子教育のために妻がパートを始めたもので、妻のパート収入によって助けられた形で、子どもを高額な教育費用のかかる医者と教員に育て上げている。

C S家が失業後の実収入にあまり落ち込みがみられないのは、失業以前の昭和39年、敷地内(夫の両親に同居)に2世帯分の貸し家を建てて、そこからの家賃収入が実収入の約2割〜3割程度入ってきたことがその要因と一つと考えられる。またS家が大都市(東京都世田谷区)に居住していたという立地条件もこの貸し家業を可能した一因にと考えられる。またその他、失業時の退職金を株などで積極的に運用して財産収入を得るというS家の家計管理法もその一因になったものと考えられる。

 

  4) 昭和初期生まれのグループの長期家計

  昭和1315年生まれのグループ

  T家、U家、V家の長期家計

社会経済的要因

 いずれの事例家計も実収入のピーク以後の記録がないためピーク時の年齢は不明である。しかしながらここではすべての長期家計が40代後半までほぼ直線的に上昇していることが顕著で、この間(昭和39年〜62年)の経済成長の影響を一様に受けているものと考えられる。

  T家は会社員、妻も多少のアルバイト収入があるが家計に入ることはなく妻自身のために使われている。T家の右上がりの収入はほとんどが世帯主の勤務先収入によるもので、民間のメーカに勤務する世帯主収入がこの間の経済成長を反映していることによるものと考えられる。

 U家は共働き家計(夫:町会議員など、妻:地方公務員)である。町会議員という公職活動に従事する夫の収入が特に3539歳の間少なかったのにもかかわらず、実収入がほぼ右上がりであるのは、公務員であった妻の勤め先収入が経済成長とともに一貫して上昇したためだと考えられる。

  V家の世帯主は会社員、妻は専業主婦でこの間、妻の収入は全くない。実収入がここで最も高い昭和60年、45歳時であるが、この実収入は昭和42年、27歳時の約3倍にあたる。しかしこの年(昭和60年)は同居の両親から孫への贈与金(年収の約1割)があたったため、特に実収入額が高くなったもので、その翌年、61年(前年の9割弱)でみると、約2.7倍となっている。しかし全体的にみた実収入の推移はこのグループ内では最も高い。またこの間2回の石油ショックを経験しているが、実収入がそれによって前年よりマイナスになるということはなく、ほぼ直線的に右上がりに推移している。これは大企業に勤めるV家の世帯主の勤務先収入が年功型の賃金であったことが、その一因と考えられる。

個別的要因

@T家の場合、右上がりの実収入の推移だったのは、世帯主の勤務先収入もたらした勤め先が高度成長期とともにあった大企業であったことによると考えられる。

AU家の場合、世帯主が公職活動に従事する不安定な職業(住民の選挙によって決定される町会議員の職)だったのにもかかわらず、U家の実収入がほぼ右上がりに安定的に推移しているのは、経済成長を反映した公務員の妻の勤め先収入が世帯収入の6割以上を占めていたことが要因の一つとして考えられる。

BV家の場合、世帯主の勤務先収入によってほぼ直線的な右上がりに実収入が推移している。これは、物価上昇や不況による収入の減少よりもベースアップや定期昇給による賃金上昇の方が大きかった当時の大企業に勤めていたこと、また世帯主の38歳以降の昇格による収入の増加が大きく関わっていたことなどによると考えられる。

 

 

5.まとめ

  以上、生涯家計の特徴について、現存する統計調査資料からは明らかにすることが難しい世代を中心に、長期に記録された事例家計からみてきた。

  明治初期から昭和初めまでに生まれた世代、23事例家計の長期家計には次のような特徴が見出された。

  本稿では実収入の分析にあたっては実質化することによってその効果をコントロールし、分析するという方法を採用したことは前述の通りである。

しかし、この実質値でみても明治末期から昭和期までに、最も長期家計の実収入の推移に大きな影響を与えた社会経済的背景は以下に述べる時期であった。

 まずは消費者物価の大きな変動期である。つまり、消費者物価指数が2桁以上の上昇を示した時期と、2桁以上の下落を示した時期である。

 前者の中では特に @第一次大戦中の大正6年〜大戦後の8年、A戦争直後の昭和20年〜24年及び26年、B第一次石油ショックの昭和48年〜50年、後者はC昭和大恐慌最中の昭和5年〜6年にその影響が顕著にみられた。

 次に実収入の推移に大きな影響を与えたのが、第二次大戦戦後以降に訪れた高度成長期の時期である。

 個別の長期家計の実収入はこれらの経済の変動期(=社会経済的背景)と個別的要因が複雑に絡み合って作用して推移していた。またそこには生年グループに特徴的な実収入の推移もみられた。

  以下、社会経済的要因と個別家計の要因がどのように作用して実収入の推移に影響を与えたのかについて、世帯主年齢の関係からまとめてみる。

 大正のインフレは40代後半と前半で経験した職業軍人や中学校教員の家計にも影響し、その間の実収入を4割から5割減少させる結果となった。これはこの時期に官吏の俸給が物価上昇分を上乗せすることなく固定されていたためで、これを補った個別的要因が、軍人家計の世帯主の並外れた昇進による俸給の高さと妻の家計管理能力、および当時の中学校教員の比較的高い俸給に支えられて順調に昇格していった中学校教員家計計であった。

 昭和のデフレによって実収入のピークに影響を受けたのは50代後半と40代後半にこの時期を経験した中学校教員と小学校教員の家計であったが、その影響は少なく、戦前の実収入のピークまでの上昇率は右上がりとなっている。これを維持したのは定年を校長で迎えるという世帯主の順調な昇格であった。

 後者の小学校教員の場合、その後戦後のインフレを60代で経験、この時期大きな影響を受けて、一旦ボトムを経験するが、その後高度成長期前の昭和30年に定年後の再就職先を退職、再び実収入のピークを迎えている。これは戦後すぐにもかかわらず教員のキャリアを生かした職業に就いたことによる。

 50代後半で戦後を経験した戦前の不在地主だった家計と小学校教員だった家計はこの時期が実収入のボトムとなっている。しかし本来なら定年退職後の時期にあたる両家計には、その後の実収入推移の仕方には大きな格差(小学校教員の方が約10倍以上高い)が実収入の推移にみられた。この格差をもたらしたのが戦後の再就職先や手持ち資産の運用意欲の有無、他世帯員の収入の有無、社会保障が未熟な時代の寡婦世帯などであった。

  40代後半で戦後を経験した会社員と終戦直前の昭和20年に夫が病死した母子世帯では、やはりこの時期が実収入のボトムとなっている。実収入のピークは前者では世帯主の定年退職時と後者では妻が52歳の時であるが、その後、高度成長期の波にのって定年退職後の順調な事業や下宿業、他の世帯員収入などで高齢期には安定的な収入を得ている。これを可能にしたのが、会社員では起業家としての意欲、母子世帯では資産保有とその立地条件、稼得子の存在などであった。

  30代後半から40代前半で戦後を経験した大企業に勤める会社員と小学校教員の家計であった。この世代でも戦後のインフレの影響は大きく、この時期に実収入のボトムを示している。その後、実収入の上昇率は大きく伸びるが会社員の家計の方が教員家計よりも格段に実収入が多く、高度成長期の大企業サラリーマンと公務員の教員との間に大きな格差がみられる。その後の退職後の時期も高度成長期と重なったことから、会社員の家計では79歳まで、教員家計では64歳まで現役で働いている。この時は会社員と公務員の実収入は逆転している。両家計とも定年退職後の再就職が比較的容易であったと考えられるが、この退職後の勤め先収入や資産運用、社会保障給付などによって、実収入のピークは60歳前後から70代後半とずっと遅くなっている。これを可能にしたのが定年退職後の世帯主の職業的能力や家計管理能力、妻の傷害年金などであった。

 30代前半で戦後を経験した世代では、戦後の高度成長期の中、実収入はピークまでは一貫して上昇している。ここでは大企業の会社員として役員にまで勤めるようになった家計とその間2度の転職を経験した家計が対照的である。

  どちらも第一次石油ショックは実収入にマイナスの影響をもたらしたが、両者ともピーク時はそれ以前の年(60歳、56歳)に迎え、実収入のピークをずらすことはなかった。しかしながら両者の間で実収入の推移に大きな格差をもたらしたのは、一貫して定年まで一つの企業に勤め役員にまで昇進した世帯主の職業的能力といくつかの企業で転職を繰り返した世帯主による差であった。

 20代以前に戦後を経験した高等学校教員、会社員、共働きの家計では、いずれも高度成長期の影響が大きいが、実収入はほぼ直線的な右上がりで推移している。第一次石油ショックの影響で失業した家計もあったが、退職金を株などで運用したり、貸し家からの収入などでうまく乗り切ったりしている。実収入のピークはほとんどの家計(妻のパート収入によってピークが定年退職前になった家計もある)が定年退職後に迎えている。昭和60年前後、低成長とはいえまだ景気のよかった頃である。これらの実収入の推移をもたらしたのが、妻のパート収入、貸し家業を可能にした大都市での資産保有、家計管理法などであった。

 高度成長期以降に結婚した昭和初期生まれの世代の会社員と共働きの家計では経済の影響をそのまま受け、実収入はここで家計記録のある40代後半まで直線的な右上がりで推移している。この間、第一次、第二次石油ショックを経験しているが、年功型の賃金体制の中、その影響は実収入全体の推移からはほとんどみられない。このような実収入の推移を可能にしたのが、世帯主および妻の職業(この間の経済成長を反映した企業、公務員(妻))であった。

  本稿の事例家計は家計記録にある限りでは、社会経済的要因に翻弄されながらも、家計の破綻に陥ることもなく乗り切ってきた家計である。この意味では、事例家計にみた個別的要因は生涯家計にとっては重要な意味をもつものと考えられる。

  ここで改めて社会変動を乗り切って長期家計に作用した個別的要因をまとめてみる。

(1)順調な昇進・昇格

 大正時代と戦前および高度成長期以後に顕著であった。ここでは年功型賃金社会と経済が比較的順調な社会を背景に一貫して一つの企業に勤め続けることが、この時代では安定的な家計につながったものと考えられる。

(2)資産の保有とその活用

 戦前、戦後、高度成長期、オイルショックの時期と経済が比較的安定していた時期だけではなく、変動期にもみられた。特に、戦後すぐの同世代の2つの事例家計の間ではこの資産の活用の有無によって実収入には対称的な推移の仕方がみられた。また高度成長期以降、失業した2の事例家計の間でも、退職金を積極的に運用投資した家計とそうでなかった家計の間には実収入の推移に差がみられた。資産の保有と活用が長期家計の安定に重要であることがわかる。さらに資産(土地・家屋)の保有とその活用にあたってはその立地条件も重要な要因であった。

(3)他の世帯員収入

 世帯主の収入だけではなく同居の娘夫婦、5人子どもたち、妻の収入などが長期家計の安定に寄与していた。特に妻の収入が一般的になってきたのはここでは世帯主が大正生まれ世代以降のことで、妻のパートやフルタイムによる収入のよって、子どもの教育や不安定な夫の収入をカバーしている。

(4)現役時代のキャリアと定年退職後の再就職

 定年退職後の再就職が比較的容易で、高齢期の家計は安定的だったのは、この時期が高度成長期にあたった世代の家計であった。ここからは定年退職の時期の社会経済的背景が重要なことがわかる。ただし、その中で校長まで昇格した教員家計が戦後間もない時期などにそのキャリアを生かして再就職、恩給に加えてその後の経済発展とともに上昇した給与を得るなど、ほとんどの教員家計が定年退職後の経済的背景にあまり関係なく安定的な収入を得ていることは特徴的なことであろう。この意味からいえば戦後、教員の定年退職後の収入は有利だったといえよう。 

(5)家計管理能力

  家計管理能力をもつ家計は、資産の保有と運用を可能にし、経済の変動期にも有利であった。長期家計にとっては資産に対する家計管理能力は特に大切な要因といえよう。 

 本稿で資料とした事例家計は限定的なもので、現在高齢者となっているすべての世代についてみることはできなかった。今後より多くの長期事例家計を分析することによって、統計調査資料からは得られない世代の生涯家計について考察していきたい。また本稿では実収入の推移を実質化することで分析を試みたが、消費単位などの等価尺度を用いた実収入・水準の比較や、他の項目(消費支出、非消費支出など)についても分析の必要があったと考えられる。今後の研究課題としていきたい。

                               以上

 

             

                                                              

参考文献

1.B.C.ラウントリイ著 長沼弘毅訳  「貧乏研究」ダイヤモンド社 昭和34

2.森岡清美「家族周期論」培風館  昭和58

3.森岡清美・青井和夫「ライフコースと世代」 垣内出版株式会社  昭和60

4.J.A.クローセン著 佐藤慶幸他訳 「ライフコースの社会学」早稲田大学出版                                 1990

5.大久保考治 「ライフコース分析の基礎概念」 早稲田大学教育社会学研究第46 1990

6.多田吉三「日本家計研究史」晃洋書房 1989

7.中村隆英編「家計簿からみた近代日本の生活史」 東大出版会  1993

6.中村隆英「昭和経済史」岩波書店 1992

7.鶴見俊輔「日本の百年」筑摩書房 昭和38

8.ゼミナール「日本経済入門」 日本経済新聞 昭和62

 

資料

1.日本銀行統計局 『明治以降本邦経済統計』 昭和41

2.総務庁統計局『日本長期統計総覧・第4巻』 日本統計協会  昭和63

3.総務庁統計局『戦後10年の家計 昭和21年〜30年』 昭和31

4.総務庁統計局『家計調査総合報告書』 昭和22年〜61 日本統計協会  1988

5.総務庁統計局『家計調査年報』 昭和62年〜平成2

6.大川一司編『長期経済統計・物価』 東洋経済新報社  昭和46

7.総合研究開発機構「生活水準の歴史的分析」 平成2

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