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2002.4.1 The Board of Social Sciences
平成バブルと社会的プロセス試論
古野 高根
平成14年3月
はじめに 1.戦後日本の景気循環と平成バブル (1)戦後日本の景気循環 (2)個別指標による平成バブルの特徴 (3)バブルとは何か 2.バブル発生のメカニズム (1)地価 (2)株価 (3)余剰資金はどこから来たか (4)バブル発生のメカニズム まとめ
参考文献
はじめに 戦後日本の景気循環は現在迄13循環、そのうち1980年代後半―90年代前半にかけての所謂「平成バブル」とその崩壊は、上昇期もその反動としての下降期も、それまでの景気循環とは著しく異なる様相を呈する。またその崩壊が日本の金融機関ひいては金融制度全体に及ぼした影響は大きく、未だにその後遺症に苦しんでいることは先例を見ない。 この遠因は景気上昇過程の特異性に由来するものであり、下降過程とその政策の是非を論ずる前に上昇過程のプロセスの解明が必要である。そこには経済現象としての景気循環のほかに経済要因の枠を超えた社会的要因とも言うべきものが内在的にしろ外在的にしろ存在していたとの疑念を拭い切れない。本論ではそれらを総合的に解明する準備段階としていくつかの切り口からの分析を試みた。 まず、1.戦後日本の景気循環と平成バブル、では戦後日本の景気循環を概観した後、各循環の振幅の大小を比較する為代表的な観察指標を時系列的に比較し、平成バブルの特徴を明らかにした。 次いでバブルの概念を整理すべく、従来のバブルおよびその発生原因についての諸説を整理・検討し今後の検討の糸口とした。
2.バブル発生のメカニズム、では一転して平成バブルの最大の特徴となった地価と株価が、当初は景気上昇とは独立・先行するかたちで動き出した点に注目して、土地(東京の商業地)、株式の需給関係の変化を、次いでこれらに対する資金供給がどのようなかたちで行われたかを、法人、個人に分けて分析した。その後、これらの関係から推測される地価、株価バブル発生のメカニズムについて考察した。平成バブル発生のメカニズムについてはこのほかに景気循環要因、政策要因、社会的要因、経営組織的要因など多面的な検討が必要となるが、取り敢えず発火点と思われる地価、株価に焦点を絞って検討を行ったものである。
1.戦後日本の景気循環と平成バブル (1)戦後日本の景気循環 日本の景気循環サイクルのタイミングに就いては、内閣府が発表する基準日付がある。これによる景気の山、谷は、景気動向指数の一致系列(第1−1図)から計算されたヒストリカルDIと、GNPなど他の重要な経済指標、専門家の意見をもとに事後的に決定される。
(第1−1図)景気動向指数(一致指数)
(資料出所)内閣府
これによると、戦後日本の景気循環は(第1−1表)の通りで13循環あり、平成バブルは第11循環の上昇期に当たる。上昇期間は51ヶ月といざなぎ景気に次ぐ長さ、その反動としての後退期も1980年代前半の第2次オイルショック後の世界的不況期に次いでいる。但し、これから分かるのはタイミングのみで、振幅の大小は判断できない。
(第1−1表)戦後日本の景気変動の基準日付
そこで、平成バブルの特徴を探るべく、いくつかの経済指標により他の景気循環と比較してみる。
a.成長率
(第1-2図)成長率前期比推移
1975年より成長率は下方屈折している為、それ以前の好況期より低い成長率となっている。平成バブルも期間は長いが第9循環と同じ程度の成長率となっている。
b.物価 2度のオイルショックでの突出した高騰の後、’80年代後半の上昇率は寧ろ低下気味。平成バブルの初期は物価上昇率は低下気味で、特に卸売物価は大幅なマイナスを記録した。後半から尻上がりに上昇率は高くなったが、水準としては従来とそれほど変わっていない。
(第1-3図)卸売物価・消費者物価前年比
c.通貨量 (第1-4図)通貨供給の伸び推移
(資料出所)日本銀行・経済統計月報 ’70年代を通じて趨勢的に伸び率は低下しており、’80年代に入ると’81-2年に高かった後、高原尻上がり状況が続いた。’87年以降急上昇するが、水準は’70年代より低い。
d.株価
(第1-5図)実質株価推移
一般物価からの乖離を見るべく消費者物価指数でデフレートしてみると、’60、’70前半の突出はあるが然程大きくなく、平成バブルの突出が断然高く長い。消費者物価の落ち着きもあって、’82年頃から上昇は始まり、’85年には過去のピークを抜いている。
e.地価
(第1-6図)実質地価(商業地)推移
戦後我が国の地価は右肩上がりの上昇を続けてきたが、この間3回の急騰期を経験している。1960年代前半、’70年代前半、そして’80年代後半の平成バブル期である。1回目は高度成長期に当たり大都市圏の工業地主導型、2回目は列島改造ブーム下で全国すべての地価が上昇、全国市街地価格上昇率では平成期を上回る。これに対し平成バブル期は東京都心商業地から始まり、周辺住宅地、大都市圏の商業地へと時間と共に波及していき6大都市の市街地価格上昇では’70年代と並ぶものの全国市街地ベースでは遥かに及ばない。しかしながら、株価同様消費者物価指数でデフレートした指標の推移で見ると列島改造ブーム期は物価上昇も大きく、これでかなり吸収されるため6大都市商業地価格の上昇は平成バブル期は規模、期間とも桁外れに大きい。しかもこのバブル崩壊後に金融問題ひいては我が国経済に多くの後遺症を残した点でも過去例を見ない。上昇は’83年頃より始まり、’85年には過去のピークを抜いている。 この様に、平成バブルでは資産価格は一般物価水準の動きから乖離して例のない程度に突出している。森永は、支払能力と比較すべく地価、株価を名目GNPで割った指数の推移から、1960年と90年にピークありとする「フタコブラクダ」説を採っているが、フタコブの谷間に当たる時期は高度成長期で名目GNP上昇の影響が強い。
(3)バブルとは何か
バブルそのものの定義に就いては色々の観点からの見解があり、かつその事自体が余り論争の的となっていないので、対立点が明快になってもいない。しかしながら、一般に述べられているバブルについての記述を大別すれば下記の通り。
a.景気循環説
篠原は平成景気に就いて、中期循環の上昇過程で踊り場を挟んで2つの小循環が結合したものでいざなぎ景気と同様のケースであり、これに17年周期の建設循環のピークが重なったものだとしている。加えてこの時期に就いて超長期循環(コンドラチェフ波)の概念を援用して、長期の成長が限界に近づくとインフレ的過熱が起き国際資本移動と同時に国内で大型バブルが発生するのだと説明する。従って4つの波の下降過程が重なった平成不況は我が国初のコンドラチェフ不況であるとした。
以下バブルまで循環論で説明し切っている訳ではないが、
宍戸は、バブル崩壊後の’92年に「これまで国際収支は黒字でインフレを伴わない景気上昇であったため若干の在庫調整さえすれば再上昇は可能」との大方の楽観論に対し、平成景気の設備投資循環としての面を強調、下降局面入りを警告している。但し、バブルに就いては、「金余り経済がバブルを引き起こし、バブルのお陰で経済拡大の期間を長くし経済全体に行き過ぎを正常であると誤認させた」とバブルと景気循環とは区別している。
田原も平成好況は景気循環として捉えており、’89年の景気を占うに当たって中期循環の山は1985年で’90年末頃迄は下降局面であり、今回の短期循環の上昇期間も’88年末頃に山が来るため、’89,90の設備投資は自立的に大幅鈍化して景気は後退局面に入るとした。
また、その後の平成不況に就いても景気循環として捉えており、バブルは単なる撹乱要因と考えている節が窺える。田原は日本のコンドラチェフ波に就いて、山は1970年前後で谷は1990-95年としており、篠原とは見解の相違がある。
b.ファンダメンタルズからの乖離説
これに対し経済的なファンダメンタルズを計測可能な値として定義し、計量的手法を用いて求めた理論値と現実の値との乖離を以ってバブルの存在を説明しようという試みがある。これを地価と株価に分けて検討すると、
@地価
野口は、一般的な資産のファンダメンタルズ価格(p)の決定式
p=r/(i−g) r=収益、i=利子率、g=収益成長率
に基づき、バブルを実際の資産価格とファンダメンタルズ価格との乖離と定義する。しかしながら現実の世界ではファンダメンタルズ価格の算出は困難な為、これを代替的に求めざるを得ない。野口は、金利水準、不動産賃貸料から「収益還元価格」を算出し、東京のオフィス、住宅地価格はファンダメンタルズモデルによる理論地価の約2倍であると指摘した(1987)。また住宅地地価を、面積当たり県内総生産、利子率、県内人口増加率、隣接県人口密度、本州外(ダミー変数)、第2,3次産業比、で説明するファンダメンタルズ価格モデルを作成し、首都圏以外の地域、首都圏の’80年代半ばまでは実際の価格はモデルで説明可能ながら、’80年代後半の首都圏の地価は計算値から大きく乖離(約2倍)しておりバブルの存在を裏付けた(1990)。
経済白書(1990)も同様の分析で、地価は「将来に亘る予想収益の割引現在価値」であるとする収益還元モデルに基づき、地代収入は現在の水準が続く、割引率は現在の長期債利回り、とみなして3大都市圏の理論地価と現実地価を比較した。これによると東京圏の商業地は現実地価が’83年から上昇しているのに理論地価は’86年から、住宅地は現実地価が理論地価を大幅に上回ったのは’86年以降で、大阪圏では遅れて追随したとしている。
また植田は上場不動産会社のデータから推計した地価と賃貸料の比率が長期的に安定しているにも関らず、’70年代前半と’80年代後半には地価がトレンドからずれて大幅に上昇してしていることを指摘し、
賃貸率利回り=安全資産の金利+リスクプレミアムー賃貸料の予想上昇率
とみて、予想上昇率には各期の現実の上昇率をあてて各時期のリスクプレミアムを試算したが、’80年代後半のリスクプレミアム(9.4%)はそれ以前の平均(7.2%)より若干高い程度で、ファンダメンタルズで説明可能ということになるとした。但し、戦後右肩上がりの地価上昇の中で7-8%のリスクプレミアムが正当化されることには疑問を差し挟んだが、これは’80年代だけのこととは言えないとしている。
A株価
植田は資産価値から見た株価の妥当性を検討すべく、トービンのqと「S(株価)/W(投資財価格評価)」の推移を計測し、’80-6の上場企業に就いてはトービンのqは’83年に1を越え、’86年にはq=2.03、S/W=1.73となり、株価は資産価値を上回って過大評価されているか将来収益が急増する期待を市場が抱いているかのどちらかであるとした。また企業収益との関係における日米のPERの違いに就いて、日本の株式持合い制度、実質金利、利益成長率で殆ど説明できるが、’83年以降のPER急上昇は説明不可能で、株価の過大評価、予想配当の急上昇があったと考えられるとする。さらにその後、別のモデルで日本のPERの高さは高率の内部留保と広汎な株式持合いの結果としてかなりの部分を説明できるが1986-9年の急上昇は説明できず、在庫、資本ストック、土地の予想価格上昇率が一般的インフレ率乃至最近の上昇率に等しいと見てリスクプレミアムを算出してみると’80年代のPERの上昇にはかなりの低下、後半には一層のリスクプレミアムの低下がなければ60倍近いPER水準は説明しにくいと論じている。
小川と北坂はバブルがファンダメンタルズからの乖離という点では見解を一にするが、資産価格上昇期待による合理的バブルと投資家の持つ情報の不完全さによるファッズとを区別できない従来の分析とは異なり、資本市場の情報に基づき形成されるトービンの平均q(資本市場価格/設備資産)と生産物市場の状況や生産技術の情報から直接的に期待される収益性の指標としての限界q(将来収益の現在価値/設備資産)を計測し時系列的に比較した。その結果、1980年代中頃から’90年代初頭に掛けて株価には、設備投資が生み出す将来収益とは無関係のノイズ(バブル?)が混入しており、これは土地資産価格の上昇とも有意な関係にあることを指摘した。
浅子・加納・佐野は、株価はマーケットファンダメンタル価格と撹乱項との和からなり、バブルの撹乱項は自己回帰的な確率過程であるとした上で、1970/1-88/12のTOPIXデータから指数トレンドによる回帰式で求めたファンダメンタル価格を差し引いた残差額から一定の仮定の下に推定された自己回帰係数βtを算出し、βt>1なら発散的バブル、
0<βt<1なら定常的なファッズとみた。結果、バブルの持続は’79/1-12の11ヶ月が最長、連続したファッズは’74/7-‘76/10の28ヶ月が最長で、3ヶ月以上続いたバブルは12回あり、このモデルでは頻繁に発生するものとなっている。
これほど数学的厳密性を求める訳ではないが、想定されるファンダメンタルズとの比較でバブルを定義したものもある。
上記小川・北坂は限界qにおける割引ファクターや利潤率の将来変数は確率的手法により推計されているが、シラーはこれを歴史的に捉え、米国の株価について「実質S&P複合株価指数(インフレ調整後)」を「実質S&P複合企業収益の過去10年間の移動平均」で割った株価収益率の推移から見て突出している1901,29,66,2000年をバブルとしている。
経済白書(1991)では、PER(株価収益率=株価/1株当たり利益)に長期金利をかけた
金利修正PERのトレンドをみると’85年から’87年前半にかけては2-3倍であったものが、’87/9のブラックマンデー直前には4.84倍、一時下がったもののトリプル安直後の’90/1には4.64倍をつけた後、’91年末には2.55倍に戻った。この2つの時期には株価が一時的にファンダメンタルズから乖離していたと指摘した。
c.大変動説
一方ファンダメンタルズを前面に出さずにバブルを通常の景気循環とは違った大きな変動と抽象的かつ叙述的に捉えようとする見解もある。
吉冨はバブルについては「株式ブームや土地投機の全国的な熱狂」といった程度の表現しかしていないが、株価インフレと地価インフレの発生メカニズムは異なるとしたうえで、株価に就いてはファンダメンタル価格(PER)は、上記野口の資産価格決定式に投資期待期間(T)の概念を織り込み、
p/r={1+T(g-i)}/i
となり、i(金利)、g(収益成長期待率)、T(収益成長期待期間)の変化の相乗効果によりPERは大きく変化することを説明し、むしろファンダメンタルズ自体がg、Tといった期待値に大きく左右される。PER(p/r)が僅か1年間で倍増(’80年代前半平均価格25倍、’86年50倍)し、かつその高い水準が4年近く持続した様な「期待」膨張の原因はインフレなき成長、技術革新、企業システムへの信頼の三拍子であるとした。また地価バブルに就いては、金融自由化によってフランチァイズ・ヴァリューが低下した銀行が収益機会を求めて情報コストとしての土地評価コストの低下する不動産担保融資に傾斜していったことが原因であるとしている。
さらに計量的な面は希薄となるが、翁・白川・白塚の日本銀行金融研究所のスタッフは平成期のバブルについて、資産価格(株価・地価)の急激な上昇、経済活動の過熱、マネーサプライ・信用の膨張が同時に発生したか否かを判断基準とすべきとして、1987-90年の4年間を「バブル期」と定義した。
d.熱狂説
欧米ではバブルをローマ時代からあったとされる投機の行き過ぎた局面とする捉え方が強く、Manias(熱、キンドルバーガー)、Euphoria(陶酔的熱病、ガルブレイス)、Exuberance(熱狂、シラー)など表現は異なるが、いずれも心理的な現象と見る向きが多い。
キンドルバーガーはバブルを「熱」(Manias)と捉え、現実性とか合理性とは没交渉の集団的異常興奮とか狂気であるとしている。それは、行動開始時には合理的でも、後はより急速に現実との結びつきを失っていき、様々な集団の間では合理性の程度は異なるものの、全体は部分の合計とは異なるという合成の誤謬に陥っている状態としている。
ガルブレイスも大掛かりな投機のことで、その中には陶酔的熱病=現実からの大量逃避が組み込まれており、「世の中に何かすごいものが現れた」ということを梃子に広がるとしている。
チャンセラーはバブルとは何かに就き直接答えてはいないが、古今のバブルの歴史を記述する中で、バブルとは投機、市場の熱狂といった捉え方をしているものと思われる。従って、発生した時代により景気循環と必ずしも連動しておらず、一国の経済に与える影響にもかなりの濃淡がある。
シラーはバブルの広がりを説明するツールとして、反復しつつ増幅される過程を説明したフィードバック・ループ理論を援用している。
e.検討
いずれも分析の角度が少しずつ異なり、またどの面を強調しているかであって、他の側面を全く無視している訳ではない。その点には敢えて配慮をせずに各説を検討すると、
平成バブルに就いては循環論だけで割り切ってしまうには、過去例を見ない景気循環を越えた実質資産価格の急騰・反落は経済財の一つとしては理解できない動きである。
一方ファンダメンタルズからの乖離説は理論的には明快であるが、経済実態(指標)に即した説明ということになると計量化のモデルが精緻になればなる程、経済実感との距離が大きくならざるを得ない。寧ろ大変動説のような大掴みな捉え方の方が説得力に優れるとすら言える。
熱狂説はバブル発生の根底にあるものを説明したもので、この事自体説得力あるが、この際想定されているのは投機の行き過ぎに限られることが多く、経済全体の動きを説明するものとしては不十分といえる。
従って敢えて(平成)バブルについて定義付けるとすれば、「株価、地価に象徴される経済実態から乖離した資産価格の上昇とそれが国民経済に及ぼした影響の総体」と定義するのが現実的であろう。もとよりその背後には、国民の熱狂という心理的要因が存在することは言うまでもない。 (2)株価 平成バブル期の名目株価の動きを示せば(第2-5図)の通りである。
(資料出所)日本経済新聞
なだらかな上昇を続けてきた株価は、’81-3年頃から上げ動意が見え始めた。この時期は、円高と日本企業の国際競争力強化を評価した外人買いに端を発するもので、「日本株浮世絵論」など、国内では焦りが見られた。この点は、(第2-1表)の部門別売買差額を見ても明らかで、この時期外国人は買い越しとなっている。’84-6、’87-9とバブル最盛期に入ると、もともと安定的な買い手だった金融機関は資金量拡大に伴う運用手段として、また取引維持の為の安定株主或いは持ち合い株主として買い越し高は急速に膨らんだほか、事業法人も安定株主、持ち合い等で増加した。しかしながら、買い越しの量から見て、事業法人の運用としての直接株式投資は比較的少なかったのではないかと思われる。一方、安定株主化が進む中での、投資信託を通じての運用目的の買いが急速に株式相場を引き上げる原動力になったものと思われる。(第2-2表)は投資信託の動きを示したものであるが、法人が中心であったと見られる株式投信は’84-6年11兆円、’87-9年20兆円の大幅な設定超過となっており、証券バブルが始まった’83年とピークの’89年の株式保有状況(第2-3表)を比較してみると、この間保有比率は1.0%から3.7%へと金融機関に次ぐシェアポイントアップとなった。しかし、’90-2年には反動から激減、巨額の運用損も出している。 一方、公社債投信は当初法人の余資運用対象として増加したが、’84/4転換社債との抱合せ販売が禁止されるや個人主体の市場開拓を進め、’81-3、’84-6とも5兆円前後の設定超過となった。’87-9には増勢は完全に止まり個人も一部株式投信にシフトした節が窺える。逆に株価落ち込みを受けた’90-2年には従来にも増して個人資金が戻って来たものと思われる。個人の株式売買に就いては一貫して売り越しで、株式保有状況を見ても1980-92の間に保有シェアは5.3ポイントの低下を見ており、数はともかく市場に影響を与えるプレイヤーではなかったと見てよい。
(第2-1表)投資部門別株式売買差額(単位、百万株)
(資料出所)証券統計年報
(第2-3表)株式分布状況(株式数ベース、%)
(資料出所)証券統計年報
@ 製造業 (第2-6図)製造業の資産・負債滞留月数推移
(資料出所)法人企業統計季報(以下同じ) (注1)参照
(第2-6表)製造業の資金移動
(注2)参照 主要資産の動きを売上高との対比で見ると、運転資金需要は’80年代を通じて安定しており、余資の水準も’80年代前半は安定していたが、中頃以降上昇に転じ’89年にはピークとなり、一時的には余資残高が借入残高を上回る実質無借金状態が実現した。固定資産に就いても年後半には徐々に増勢に転じている。調達面でこれを支えたのは減価償却、内部留保を中心とする自己資本の増加で、特に’80年代後半には社債と共に資本市場からの調達が加わり急増した。結果、借入金への依存度は一貫して低下している。 これを資金移動で見ると、運転資金面では大きな資金需要の変化はない。’86-9年には売上増加を反映して売上債権・債務が大きく増加したが、実質資金需要にはさして影響していない。設備投資は期間中一貫して増加が加速しており、景気上昇の息の長さを示している。しかし、金融的には自己資本の増加の範囲内であり、借り入れは安定した増加額で推移、寧ろ設備投資後の流動性増加額の方が上回って余資運用が徐々に拡大していく素地を作ったといえる。’83年頃からは設備投資の水準が切り上がっているが、’86-89年には自己資本増加額がピークに達したほか、社債発行も高水準となったため高い設備投資の伸びを吸収してさらに余資運用が増加した。設備投資は’89年以降も増え続けた反面自己資本増、社債調達額も減少したため、借入金が増加し余資もほとんど増えなかった。しかし借入増加の絶対額で見れば’89-92年でも全社借入額の2割程度と低い水準に止まっている。 A 不動産・建設を除く非製造業 (第2-7図)非製造業の資産・負債滞留月数推移
(第2-7表)非製造業の資金移動
業種柄運転資金需要は低水準で期中を通じて安定した推移を示している。固定資産、余資とも、もともと低水準であったが、固定資産は流通、レジャー産業等の旺盛な設備投資に支えられて増加、’80年代半ばより増勢を強めて’92年に至り、余資も借入金と歩調を合わせて増加した。調達面では’80年代半ばから自己資本も増加したが、借入の増加が目立っている。 資金移動を見ると運転資金需要に大きな変化は認められない。設備投資は製造業同様コンスタントに増加したが、自己資本では賄ないきれず、一貫して借り入れ依存となった。’83年からの設備投資の盛り上がりに対しては、自己資本、社債の増加だけでは不十分で、借り入れの増加ペースがさらに上がり大きな資金需要となった。同時に過剰借入分は余資として滞留し運用に回された。’89-92年の更なる設備投資の増加に対しては、製造業と異なり自己資本はさらに増加したものの、借り入れ・社債での調達が不十分だったため一部運用資金を取り崩して対応している。
B不動産業 賃料収入との比較となるため他業種に比べ資産の重さが目立つが、運転資金面では’89年から負担が増え、固定資産では’83年より既に増加が始まっている。’83-9年には借入と並行する形で余資の増加も見られた。調達では期半ばには若干自己資本も増加したが、社債も低水準で固定資産・在庫の急増には追いつかず、借入水準が急増することとなった。 資金移動で見ると、本来運転資金需要はほとんど発生しない業種であるが、’86年以降土地仕込みが高水準となってきたため、棚卸資産の増加が目立つようになった。設備投資については、’80年より増加が始まり’80-6年に水準が一旦切りあがった後、’86-92年にはさらに増加額で3倍近い伸びを示すなど2段階の上昇となった。この間自己資本も増加はしたが絶対額が小さすぎて設備投資を賄うには程遠く、全面的に借り入れに依存するかたちで増加額は一貫して上昇し、借入市場でも’92年には全借入の21%を占めるなどビッグプレイヤーとなった。もともと慢性的資金需要業種のため余資は少なく、’86-9年に過剰調達分が滞留した余資も’89-92年に借り入れ調達がペースダウンすると取り崩しを余儀なくされた。 (第2-8図)不動産業の資産・負債滞留月数推移
(第2-8表)不動産業の資金移動
B 建設業 (第2-9図)建設業の資産・負債滞留月数推移
(第2-9表)建設業の資金移動
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