ヴェブレンにみる現代的企業者の誕生
氏名・・岸喜一

所属専攻・・社会と経済

 

ヴェブレンにみる現代的企業者の誕生・・

報告書概要

T.ヴェブレンが『企業の理論』およびその他の著書を通して解明し

ようとした,独占資本形成期のアメリカ合衆国は,現代社会の起点でも

あった。社会の前面に企業者がおどり出たとかれが捉えたその時代に,

主役となった企業者を通して接近することで,現代経済社会が成立する

過程にせまってみたい。

イギリス産業革命を遂行した手工業生産者を,現代的企業者の歴史的

先行形態とし,「分業」によって構成される機械制産業体制の発展は,

指導力としての必要から営利企業を生み出した,とヴェブレンはみた。

ここでは,かれのみた営利企業の将帥としての企業者の役割を,三つに

分けて分析した。それは,時代に制約されたものを多く含みながらも,

なお現代社会を規定する基本的な特徴を正しく捉えていた。自由競争の

結果としての支配の集中・独占の過程は,同時に株式会社制度の成立過

程でもあったが,それは金融が企業組織の変革に深く関与し,支配する

新しい時代の幕開けでもあった。

 

目次・

・・はじめに・…………………………………………………………………・1

・・第1章機械制産業と営利企業・…………………………………………・4・

・1.新しい企業者の出現…………………………………………4

・2.機械制産業が確立するまでの企業者………………………6

・3.機械制産業と営利企業………………………………………9

・・第2章機械制産業体制下における企業者の役割・…………………・12・

・1.企業者の役割・企業合同(隙間の調整)………………12

・2.企業者の役割・独占の確立(「のれん」の確保)……17

・3.株式会社制度の確立と「のれん」の価値………………20

・4.企業者の役割・資本取引(「金融の将帥」の支配)…24

・・第3章「金融の将帥」としての企業者・……………………………・27・

・1.資本市場の操縦……………………………………………27

・2.企業合同における企業者…………………………………28

・3.生産のサボタージュ………………………………………29

・4.支配権の集中…………………………………………………31

第4章ヴェブレンがみた企業者の今日的意義…………………33

1.「金融の将帥」(バブルへの道)…………………………33

2.「産業の将帥」(サボタージュの指揮者)………………35

3.現代の営利企業と企業者……………………………………37

参考及び引用文献……………………………………………………40

後記……………………………………………………………………41

 

 

ヴェブレンにみる現代的企業者の誕生・

・・はじめに・・

ソースタイン・ヴェブレン(1857-1929) が生きた,19世紀終りから

20世紀初頭は,とくにアメリカで,新しい時代の胎動がはじまってい

た。この時代は現代社会と,それを特徴づけるアメリカ資本主義の起点

であった。

それは,西ヨーロッパ文明の年代記に前代未聞の現象,すなわち平和

の100年を生みだした19世紀文明が崩壊し,"大転換"1) がおとずれ

ようとするときであり,「世界の工場」イギリスの経済的成熟と,アメ

リカとドイツの工業の目ざましい発展,独占化への時期でもあった。

ヴェブレンが『有閑階級の理論』(1899)とならぶ代表的な著作『企業

の理論』(1904)で対象とした企業者は,J.D.ロックフェラー(1839-1937)

や,J.P.モルガン(1837-1917),A.カーネギー(1835-1919) といった19

世紀から20世紀始めにかけて生きた,かれと同じ時代の人であった。し

かも,1898年に合衆国議会により組織され,1900年から1902年にわたっ

て刊行された『産業委員会報告書』の証言を,随所に引用したというこ

とは,それが極めて時論的な性格の強いものであったということを示し

ている。にもかかわらず,それが,そこから始まる20世紀を貫く基本的

特徴,すなわち「大企業体制」と「大衆消費社会」の到来をとらえてい

たという点で,忘れさらるべきではないであろう。「ひとびとは,しば

しば,それぞれ自己の現在の問題を胸にいだきながら,それを解決する

鍵をみいだすために,ヴェブレンに立ち帰っているようにおもわれる」

2)という小原敬士氏(1903-1972) のことばは,それが単に古典としての

・10 1) K.ホ゜ラニー大転換吉沢英成他訳pp.3-6:概要東洋経済新報社1975

  1. 小原敬士ウ゛ェフ゛レンの社会経済思想p.3岩波書店1966・12

役割以上のものをもっていることを示している。

ヴェブレンはその中で,発展しつつあった機械性産業の時代を,経済

活動それ自体からではなく,先ずそれを行う企業者の仕事を通してみつ

め,またその上で,企業者の事業と文化との関連性を追及しようとした

のである。それは

「現代を経過し,そして次の将来へと移ってゆく文明生活の過程に

たいする理論的探究にとっては,企業者とその事業に匹敵するだけ

の重要性をもつ文化状況の要因は,一つもない。……。理論家が,

特に近代的な経済現象を解明することを目指すばあいには,かれの

接近の方法は,企業者の立場から出発しなければならない。……。

近代的な経済状況にかんする理論は,なによりもまず企業の動機,

目的,方法および効果をふくむ企業活動(businesstraffic)の理論

でなくてはならない。」(pp.6-7……

以下ページのみ記載の場合はすべて『企業の理論』小原敬士訳)

と,かれが緒論で述べた視点によるものであり,この著作が最初は『産

業将帥論』という表題になるはずであった,ということからもうかがい

知ることができよう。

それはまた,「このような観点を選ぶことそれ自身が,現在の経済状

況によって与えられる」(p.1) と「序文」で述べているように,当時の

経済・文化の状況が,主として企業者の主導による状況であった,とい

うヴェブレンの認識にも起因している。後に出版されたかれの著作が,

「……19世紀の経過中には,企業者はますます際立って全面にあらわれ

るようになり,……」3)と記していることからも,そのことは裏付けら

れる。

したがって,その「企業者」概念を解明することなしに,『企業の理

・10 3)T.ウ゛ェフ゛レン技術者と価格体制小原敬士訳p.33未来社1962・12

論』を理解することは困難であろうし,また,そうすることによって始

めて,その時の経済状況への接近ともなるはずである。

本大学最後の学習として,ヴェブレンの『企業の理論』をとりあげる

ことによって,今日,世界の政治・経済・文化に対して大きな影響を与

えているアメリカ合衆国という国が,経済的に際立った成長を始めた時

代を,ヴェブレンにならい,その社会で重要な役割を果たしたであろう

企業者の行動をとおしてふり返ってみたいと思う。いま大きな転機にた

たされている現代社会をみつめるために……。その時代とは,福沢諭吉

が咸臨丸でサンフランシスコをおとずれたのが1860年であり,その翌年

アメリカでは南北戦争が始まって,ともに資本主義が発展の道を歩みだ

したときである。そして,産業の成長がもたらす余剰生産物を,アメリ

カでは「大衆消費社会」が吸収し,ドイツや日本では「王朝的」〔帝国

主義的〕国家が食いつくし,どこでも勤労者の福祉が向上することはな

い,とヴェブレンはみた。それからの半世紀に累積した企業の成果は,

1925年に私が受け継ぐことになった時代への遺産でもあったのである。

  • ・・第1章機械制産業と営利企業・

・・1.新しい企業者の出現・

企業の起源は古い。しかし,ヴェブレンは,その定義を与えようとし

ているわけではない。いきなり,その動機と方法から説きはじめる。

「企業の動機は金銭的利得であり,その方法は本質的には,ものの

売買である。その目的と通常の結果は,富の蓄積である。その目的

が資産の増加ではないようなひとは,企業界にはいることはない。」

(p.19)

「企業者を動かす動機は,金銭的動機であり,かれ自身もしくは,

かれがそれと一身同体となっている営利企業の金銭的利得にたいす

る誘因である。」(p.31)

ここでは,企業者と企業は一体となって「金銭的利得」を目的に,も

のの売買を行う経済主体であった。したがって,利得の結果を企業者が

受け取るか,企業が取得するかは,企業者の恣意にまかされたことで,

配分の問題であるが,企業は利潤なしには発展的に存続することは不可

能である。たとえそれが,企業者の生活の資を得るための初歩的なもの

であったとしても,よりよい生活のために,より効率のよい設備を設置

するために,その利潤追求の動機が変わることはない。

同時代人のM.ヴェーバー(1864-1920) が,「資本主義的経済秩序は

こうした貨幣獲得が『天職』としておこなわれることを必要としている」

1)と述べ,また一方で禁欲的な「貨殖者的」生活態度を企業者に見出し

たのも,このような段階の生産者にぴったりのものであった。

そして企業規模が拡大し,組織化されるにしたがって,事業者の企業

に対する役割も自ずから変化することになり,A.マーシャル(1842-1924)

・10 1)M.ウ゛ェーハ゛ーフ゜ロテスタンティス゛ムの倫理と資本主義の精神

大塚久雄訳p.82岩波書店1989・12

は,「生産の組織者」としての能力を土地,労働,資本とともに生産要

因の一つとして見るに至ったのであるが,ここでもやはり企業と企業者

は一体となった生産者であった。2)しかし,

「現代株式会社の経営者の利害は,一つの継続事業としての株式会

社の永久的な利害と一致する必要はない。」(p.125)

というとき,ヴェブレンは企業者を,継続事業として株式会社に組織さ

れた企業とは別の,もう一つの経済主体として認識したことになる。多

額の資本を社会から動員して生産に投下し,複雑な機械過程として固定

化しながら,生産を独占してしてゆく機械制産業体制においては,限り

ある企業者の命とは対照的に,企業の永続性は必要不可欠の要請であっ

た。一方,株式その他の受動的な所有者は別として,能動的な企業者に

とっては,資本市場の出現で,特定の企業に永久にしばりつけられる必

要がなくなった。かれらは何時でも有利な投資対象に,かれが自由とす

る資本を再配分できる立場を手に入れたのである。

一発勝負のできた「大航海時代」に始まる,中世末から近代初頭にか

けての貿易を主流とした「商業革命」と呼ばれる経済体制に対し,イギ

リス産業革命を起点として発展してきた巨大な機械制産業の台頭によっ

て,新しい型の企業者が出現したことを,ヴェブレンはすでに認識して

いたのである。

だから,「企業の方法は本質的には,ものの売買である」と述べては

いるが,ここで「企業」を「商業」と考えるべきではない。

「このような営利企業の動機や方法が,固有の商業的企業―商業や

金融業務―の取引活動のなかに,いかに作用するかは,このような

・10 2)A.マーシャル経済学原理・馬場啓之助訳p.289東洋経済新報社1966

ヴェブレンは,投資の自由選択を意味するマーシャルの「代替の法則」

について,それが重要なものとなったのは,企業の状況が現代的な

形態に近くなったばあいだけであり,近世初期のような企業の理論に

とっては,たいして必要でなかったと注記している。(pp.22-23)・12

〔商業的〕企業部門が,いっそう厳密な意味の生産的企業の針路に

影響をおよぼすばあいを除き,当面の研究とは関係がない。……研

究の問題点は,上述したような機械過程と共存し,巨大な機械制産

業にたずさわっている特殊近代的な営利企業である。」(pp.19-20)

ということになる。

したがって,「ものの売買」の「もの」とは,自己の統御の下で生産

された製品や,生産資材であることは勿論であるが,ときには,自他の

支配下にある企業でさえあり,また,その資本の一部を意味することも

あるということが,やがてわかってくる。

このように,ヴェブレンがとりあげようとした企業や企業者は,中世

以来の貿易業者や,それと結びついて発展した商業,あるいは金融業者

ではなく,また産業革命初期のような手工業的な生産業者でもない。巨

大に発展した機械制産業を指揮する企業であり,またそれとは独立した

経済主体としての企業者であった。

つぎにまず,機械制産業にたずさわる,特殊近代的な営利企業の特色

を明確にたるために,それが確立するまでの,営利企業と企業者のいと

なみをヴェブレンの目をとおして概観してみたい。

・・2.機械制産業が確立するまでの企業者・

機械制産業体制が確立する以前の企業者についての,ヴェブレンの記

述は近世初期のころに遡る。

「相当の規模の営利企業は,多くのばあい,商業の形態―物品販売

業や金融業のある種の形態―をとっていた。」(p.20)

そして,近代的機械制産業に比較できる唯一の重要な企業部門として

商業と結びついた海運業をあげ,それが株式会社による組織や経営方法

の起源としてさかのぼれることは意義あることと「注」(p.21)を加えて

いるが,それをもって,近代的営利企業の源初的形態とは考えていない。

というのも,それが,風や気候に大きく収穫を左右される農業のように,

多くの偶然的な性格をもっていたからである。この時代には,資金を集

めて船を仕立て,航路を開拓しながら,略奪的な価格で物資を後進国か

ら西欧に運んでいたので,成功すれば大きな利益を手にすることができ

たが,いつも成功するとは限らなかった。

「このような状況のもとでは,企業者の機能は,事態を自分自身の

目的に適合させることよりもむしろ,季節の変化や,需給の変動に

よってあたえられる景気変動を利用することであった。大企業者は,

かれがその後にそうなったよりも,ずっと投機的な買手や売手であ

って,金融上の戦略家ではなかった。」(pp.20-21)

として,ヴェブレンはここで,紀伊国屋文左衛門のような,予測不可能

な不確実性に賭ける,投機的な企業者を捉えている。しかし,統計学な

どの発達が,予測不可能な不確実性の領域をかなり狭めたとはいえ,な

お企業経営には不確実性が残る。このような不確実性の「危険負担者」

の側面にのみ企業者の役割を見いだそうとするならば,今も昔も企業者

の役割に変わりはないことになろう。

しかし,つづけて「機械時代の出現以来,情勢は一変した。」(p.21)

と,かれはいう。産業の方法がどのようなものとなっても,私有財産制

によって制約されている以上,企業の方法は変わらなかった,と留保し

ながらも,

「企業者はいまや,商人がやるように,生産者と消費者とのあいだ

を移動するばあいの財貨に投資するのではなく,産業の過程に投資

する。そして,かれは,季節や神のわざのぼんやりと予知されるだ

けの変化に自分の価値を賭けるのではなく,大体において企業者の

統御のもとに属する産業過程の相互作用から生ずる景気変動に注意

をむける。」(p.21)

ようになったとみる。こうして,企業者は少なくとも主観的には,偶然

に賭ける投機者の立場から,たとえ間接的でも,自己が統御できるもの

に投資する,能動的な主体に変身したことになる。

機械制産業初期の手工業時代の生産者は,産業設備の所有者であると

同時に,自己の企業にかかわる金銭的取引だけでなく,その機械過程の

監督者としての役割をもっていた。そして,企業上の成功の大きな要素

は,純然たる生産的効率であり,手工業でも商業でも,その目的は投資

の利潤をうるためではなく,衣食の資をうるための経営であった。初期

の経済学者たちが産業における企業者の役割を論じたのは,こうした諸

条件のもとであったと,ヴェブレンは主張するが,それはその後に,A.

バーリ(1895-1971) ・G.ミーンズ(1896-1988) が,「アダム・スミスが

『企業』を語ったときには,典型的企業単位体として小規模な個人事業

を心に描いており,……」3)と述べたことばとも一致する。

金銭的利得を目的とした多数の手工業者の参入と競争の結果は,その

地歩を確立した機械制産業体制の成立であったが,他方においてその生

産能力の向上は,かれらが満足する利潤をもたらすような価格では,市

場の需要が消化しきれない程の生産物を生み出すことになった。その生

産物のすべてが消費されていたときには,生産の効率向上こそが利潤の

源泉であった生産的な企業は,いっそう複雑,大規模となった市場の景

気変動の影響をまともに受けることとなり,企業者は生産の効率を追求

するだけでは,もはや満足な利潤を手にすることが困難になった。この

3)A.ハ゛ーリ・G.ミーンス゛近代株式会社と私有財産北島忠男訳p.438文雅堂1958

ような変化は企業者をして,機械の運転や監視とか,経常的な金銭的収

支は他人にまかせ,自らは有利な分野を求めての投資とかその再配分,

あるいはそれに伴う金融,そして製品価格維持のためには,市場の景気

動向に不断の注意を向けて生産を調節したり,他の企業者との企業関係

にも関心を向けることなしには,利潤を継続して維持することを不可能

とした。かつて産業が,生活手段をひとびとに十分供給できるかどうか

が,好況か不況かの規準であったものが,いまや,多量の資金を投じて

大量生産の道を拓いた営利企業にとっては,満足する利潤をもたらすか

否かが,好・不況の規準に変化した。機械の出現と,イギリスに始まっ

て世界に波及した産業革命の波は,とりわけアメリカの企業者に,大き

な変貌を強いる結果となったのである。

・・3.機械制産業と営利企業・

産業過程や市場の発展が,企業者に,それまでの投資家や機械過程の

監督者としての役割を越えて,企業関係をつうじた景気変動の戦略的統

御という,新しい任務をもたらしたことは前節で述べた。ここで,機械

制産業の内容である「機械過程」と,その指揮にあたる「営利企業」と

の関係を,ヴェブレンの見解を通して見ておきたい。それが,これら企

業者の役割を大きく規定するからだ。

かれの「機械過程」には機械装置の総体だけでなく,その中にそれに

たずさわる人々の仕事とか,系統的に組織された知識,あるいはそれに

よる合理的手続き,といった人間の資質までをも加えているのが特徴で

ある。さらに,化学(いまでは重装備の産業だが),農業,畜産などの

産業も,近代的方法による経営で,きちんと市場と接触しているばあい

には,機械制産業の複合体にふくませるよう主張している。

「あたえられた装置を使っておこなわれる機械過程は,どれをとっ

てみても,ほかのところですすんでいる過程に依存しないものは一

つもない。そのいずれもが,同じような機械的性格の他の多くの過

程の適当な働きに依存しているし,またそれを予想している。機械

制産業のいかなる過程も自己充足的なものはない。それぞれの過程

は他の過程の後にしたがったり,あるいはまたそれに先立ったりし

て,一つの無限の系列をつくり出す。それぞれの過程はこの系列に

はまりこみ,またその要求にたいして自分自身の働きを適合させね

ばならない。」(pp.9-10)

このように,ヴェブレンは機械過程を包括的で釣合いがとれた,一体

のものとして見るのであるが,それら一つ一つの単位はバラバラな個別

企業であり,各々の経営者が別々の思惑で動かされているのは当然であ

る。いわゆる「分業」と呼ばれるこうした産業制度を,何らの攪乱も生

じることなく,効率的に働かせるためには,「それを構成する下部〔機

械〕過程が全体を通じて適当な調整を保って機能しなければならない。」

(p.16) とくに,産業の中間過程においては,市場が価格の変動を通じ

て需給を調節するということは,多く期待できない。市場が機能してい

たとしても,企業者はむしろ,市場を自己の統御のもとに置こうとする

欲求で動かされる。もし,ある企業者が生産過程上の隣接企業との間に,

継続して安定的な取引慣行を維持しようとし,その能力をもっているな

らば,隣接企業に資本参加して発言権を強めるか,またはもっと手っと

り早く,その企業を買収して完全に支配下におくことを考えるだろう。

また製品の販売が確実に利益をもたらすものにするためには,販売ルー

トを掌握するとか,経営に困難を抱えた企業の有名ブランドを取得する

ことも企図するだろうし,一歩進んで産業の組織化をはかり,製品価格

の安定を目指すだろう。生産資材の排他的確保も魅力あることにちがい

ない。独占的産業体制の確立過程において,これらは頻繁に行われたこ

とであり,またそのこと自体が独占的体制をもたらす過程でもあったの

だ。こうして企業者は,かれの支配下にある産業の生産効率を調整する

機能とは別に,それから離れて,他企業との関連において,産業体制の

戦略的統御をつかさどる役割を担うことにもなった。ここにヴェブレンは,生

産に集中する産業が,それを指導し統御する営利企業を必要とするようにな

った,産業的な条件を見出すのである。

このようにかれは,機械制産業体制を,生産に集中する産業の機能と,それ

を金銭的側面を通して支配する営利企業の機能との,二重構造として見るの

であるが,このような二元的考え方は,すでに『有閑階級の理論』において,

「製作者本能」4)と「金銭的見栄」,あるいは「労働」と「閑暇」といったかたちで

姿をあらわしており,「ヴェブレンの全思想を貫く基本的二元論は,結局,西

部と東部,辺境と都市文明との経済的文化的対立関係にかんするかれ自身

の生活体験を背景とするものであることは疑いがない。」5)と,小原敬士氏に

述べさせている。

そして,かれが重視した企業者とは,生産企業のそれではなく,次章で述べ

るように「産業」の成果に依存しながらも,企業的利益のためには,生産のサ

ボタージュさえ辞さない企業者であり,ヴェブレンがみた産業社会を支配し,

特徴づける企業者の姿でもあったのである。

10 4) このウ゛ェフ゛レン独特ノコトハ゛ハ,後ニモ出テクルノテ゛注ヲ加エテオキタイ。(有閑階級ノ理論pp.92-93 小原敬士訳岩波書店1961)

「コノ本能ハ,他ノ事情カ゛ユルスナラハ゛,ヒトヒ゛トヲシテ,生産的ナ能力ヤ,人間ノ役ニタツモノハスヘ゛テ,好意ノ目テ゛ミル気持チヲオコサセル。ソレハヒト

ヒ゛トヲシテ,物質ナリ労働ナリノ無駄ヲ軽蔑スル気持チヲモタセル。製作本能ハ,万人ノナカニアルノテ゛,キワメテ不都合ナ状況ノモトテ゛モアラワレテクル」

  1. 小原敬士ウ゛ェフ゛レンpp.13-14 勁草書房1965 12

第2章機械制産業体制下における企業者の役割

産業革命にはじまる機械制産業の発展が企業者に与えた影響は,単に

設備に投資し,生産の効率を追求するだけでは,もはやその機能を果た

しえない,ということであった。本章では,その必要から生まれた営利

企業の機能を,指導者である企業者の役割を通してみることにする。

・・1.企業者の役割・企業合同(隙間の調整)・

前節でみたように,個別企業の分業によって構成される機械制産業体

制においては,個々の企業間に存在する隙間の調整は,必要不可欠の仕

事であった。しかも,当時では統一的産業過程の網の目はあらく,隙間

の解決こそが大きな利得のチャンスでもあった。

E.ドレイク(1819-1880) は,1859年ペンシルベニア州のタイタスビル

で,始めて石油の発掘に成功してその名誉を手に入れた。しかし,1859

年に20ドル/バレルであった原油価格は,多数の業者参入とその競争に

より,61年には10セントにまで暴落してしまった。一方,石油精製を手

掛けたJ.D.ロックフェラーは,生産者と消費者との隙間である輸送手

段を掌握し,さらに石油トラストを結成して,石油産業の支配権と巨額

の富を手中に収めた。1)急速な発展を遂げた鉄鋼業においても,「製

鉄原料(鉄鉱石,石炭,等)の確保と支配,鉄鋼製品供給の支配(銑鋼

一貫体制),さらには原料と製品の輸送機関支配へと,いわゆる垂直的

統合に向かわざるをえなかった。」2)のである。

「隙間」と一口にいっても種々の側面がある。地理的な隙間は輸送手

段や通信手段の改善,あるいは関連企業を一か所へ集中するといった方

・10 1)坂井素思経済文明論8放送大学放送授業

  1. 鈴木圭介編アメリカ経済史p.56東京大学出版会1988・12

法でうめるしかない。最近でこそその進展はめざましいものがあるが,

A.G.ベル(1847-1922) が電話会社を設立したのが,僅か120年前の1877

年のことであって,今では,電話なしのビジネスなど考えようがない。

生産能力の間の隙間は投資の再配分によって解決しうるが,最も確実な

調整の方法は企業合同であった。これら隙間の解決は,すべて金銭的取

引によって行われるものであり,企業者の手に委ねられる。しかし,企

業活動がすべて貨幣単位で計算される損得の問題に支配されている以上,

隙間の調整もその損得勘定に左右されざるをえない。

「こうして,社会的生産の実現や過程の連続性にとって不可欠の条件

である『隙間の調整』は,企業者=資本家の手中で,利潤追求のための

手段に転化する。」3)ことになった。それだからヴェブレンは,

「機械制産業が大きな程度に発展するとともに,事態の指導権をに

ぎる企業者が〔隙間の調整とは〕反対の目的の役割を演じ,産業を

攪乱しようと企てることは,ことの性質上,避けがたいこととなっ

た」とみて,「ことに19世紀末の数十年間に多くの刺激があったた

め,大規模な産業合同の形成が注目され,……,これらがもたらす

好結果は広く理論的にも解明されているので,周知のこととして省

略し,論議を短くすることは,良心的なことであろう」といい,

「理論家にとってあまり目立たず,魅力的でもないが,細かい注意

の必要な別の様相」(p.30:概要)

に,自らの目を向けたのである。

こうした,ヴェブレンの態度には批判も多い。かつての同僚アグネス

・ワーゲランドはTheJournalofPoliticaEconomyで,「あからさま

で不愉快な真実にしか彼は同感を示さず,そうしたものばかりを強調し

・10 3)高哲男ウ゛ェフ゛レン研究pp.176-177ミネルウ゛ァ書房1991・12

ているので,おそらく人々は反感をもつであろう」4)と書いた。しかし,

「19世紀後半の沸き立つ時代にあって,アメリカではお金が社会に

認められるための踏み石であり,相応の富というパスポートを取得

すれば,アメリカの大金持ちは上流階級に入るためのそれ以上のビ

ザを必要としなかった。」5)

とハイルブロナーが述べたように,当時が,後にいわれるような「黄金

色の時代」・「泥棒貴族の時代」であったとしたならば,ヴェブレンの

立場を無視するわけにはいくまい。

かれは,新しい企業結合によって規模の経済を実現し産業の効率を増

進するだけでは,企業者を動かす動機にはならないという。

「かれの努力の目標は,たんに産業的にみて有利な企業合同をつく

り出すことではなくて,かれに大きな企業力の支配権をあたえ,ま

たできるだけ大きな利得をもたらすような所有関係の状況のもとに,

それをつくり出すことである。」(p.31)

そして,産業合同事業の条件をつくり,それが実際的であるか,生産

の経済をもたらすかどうかを決定するのは,機械的性質のものであるか

ら,そのような事業に好都合な条件をつくり出し,その有効性を証明す

るのは企業者ではなく,産業的な職業にたずさわっている人の仕事の成

果であるとする。そこにはもう,日常における機械過程運行の監督者と

しての古い企業者の姿はない。同じように,産業の「新結合」を経済発

展の原因としたJ.シュンペーター(1883-1950) が,結合を実現し,産

業技術の進歩を実現する主体として企業者を理想化したのに対し,ヴェ

ブレンのそれはきわめて現実的である。だから,それが産業の効率を引

き上げ,社会の福祉の向上に寄与するからといって,スムーズに事が運

・10 4)J.ト゛ーフマンウ゛ェフ゛レン《その人と時代》八木甫訳p.332HBJ出版局1983

  1. R.ハイルフ゛ローナー世俗の思想家たち八木甫監訳p.255HBJ出版局1989・12

ぶとは限らないというのである。

「その企業合同計画に関係しているいろいろな企業者の利害が,す

べて同じ基礎,同じ経営による一つの企業結合に帰着するというこ

とはめったにない。その結果は,折衝であり,遅延である。……。

過去数年間の状況を特徴づけていた大きな企業合同や産業結合は,

多くのばあい長引いた闘争の所産……」(p.32)

であって,決定的な点は,企業上の便宜と営利の圧力であり,産業的に

みた妥当性は決定的な点ではない。だから,

「産業の将帥は,新しく,いっそう能率的な組織に賛成するととも

に,それに反対する作用をもいとなむ。」(p.33)

とヴェブレンは断定し,鉄道系統の統合が遅延したのも,一つの集団企

業として稼働すべきであった,北部ウィスコンシン・ミシガン・ミネソ

タの鉄鉱床がそうならなかったのも,企業的な理由以外にはないと,長

い注(pp.34-35) を付して例示している。そして「健全な」〔正当派経

済学の〕見解が考えるように,有用性を追求することとか,人びとの生

活方法を改善しようとかいった「製作本能」によって動かされる企業者

は,収益を追う企業の能率を害し,実業界ではあまり成功せず,企業者

としては一つの弱点として非難すべきである,というのである。

それは,1901年に誕生したU.S.スチールについても,顕著な例を見る

ことができる。U.S.スチールを構成する3大鉄鋼会社が形成されたのは,

1898年にフェデラル製鋼社,99年にナショナル製鋼社,1900年にはカー

ネギー・カンパニー・オブ・ニュージャージーという具合に,1893年の

恐慌以来多くの時間をかけた,鉄鋼会社の集中合併の結果としてであっ

た。6)そして,このU.S.スチール結成に当たり,J.P.モルガンらは,6

・10 6)鈴木圭介編アメリカ経済史p.232東京大学出版会1988・12

億8200万ドルの実質資産に対し,5億1000万ドルの優先株と5億8000万

ドルの普通株,さらに3億300万ドルの社債を発行し,1億5000万ドル

の起業コストを差し引いても,モルガンはじめ発起人は6250万ドルの利

益を手にし,会社は13年間にわたって,レールをコストの倍以上の価格,

1tにつき28ドルで販売することができた7)のである。

さらにヴェブレンは,企業合同がもたらす「生産費の節約」は,「健

全な」理論が考えているような,主要生産費の節約よりも,まず第一に

事務費や販売費に影響すると指摘する。生産物の単位当たりの「業務の

量」は,各種産業過程のあるものが複数で管理されるよりも,一つの企

業体のもとに統合される場合の方が,はるかに少なくてすむ。その過程

や生産物が,いろいろな所有権の領域に接触したり,それを越えたりす

るときは,あらゆる点で金銭上の決定権が行使されなければならない。

したがって,企業統合による影響は産業そのものに対しては,多くのば

あい間接的であり,むしろ余剰生産能力の削減を伴うものだが,企業の

取引活動においては,所有権での区分が少ないほど,正確で迅速になる

のである。このことが,経理や契約業務の省略とか,情報の蒐集・伝達

といった日常業務にも当てはまることは申すまでもない。産業革命が達

成した,経済生活全般にわたる18世紀の標準化が,営利企業を再編成す

るときの,企業者の仕事を著しく容易にしたことは疑いない。そして,

偏在的で,ある意味では多すぎる営利企業の存在が,合同による節約―

生産能力の節約も含んで―の大きな機会を企業者に提供することになっ

たのである。そこで,かれは,

「関連がある産業単位が別々の経営者のもとに立つばあいには,そ

・107)R.ハイルフ゛ロナー世俗の思想家たち八木甫監訳pp.284-285HBJ出版局1989・12

れらのものは,ことの性質上,目的がばらばらである。だから,企

業結合は,産業体制の隙間から,できるだけ金銭的要素を排除する

ことによって,産業体制のこのような不つごうな様相を是正する。

産業体制一般の裂け目の調整は,このようにして互いに競争する企

業者の決定力から取り除かれ,……。その結果は,仕事が省けるこ

ととなり,また,産業の競争的な管理の特徴となっていた組織的な

相互の妨害が避けられることとなる。……。産業の将帥の英雄的な

役割りは,多すぎる企業管理から解放するものの役割りである。そ

れは,親玉の企業者による多くの企業者の追い出しを意味する。」

(p.40)

という。それは,一つの階級としての企業者の中の敗者が,その業務か

ら引退するということであり,また,その支配下にあった私的企業の機

会を抹消することでもある。つまり,ここでかれが重視した隙間とは,

地理的あるいは産業的な物理的隙間ではなく,たとえ隣り合わせの企業

であったとしても存在する,「所有権」と「所有権」との間の社会制度

的な隙間であったことは明らかである。その結果は,自由競争の結果と

しての競争の否定,独占の形成ということになるが,一方でそれは,企

業者につきまとう「不確実性」のリスクを,さらに緩和することでもあ

った。

しかし,このような産業の組織化がもたらす,収益の追及は,一時的

であり偶発的なものにすぎない。

・・2.企業者の役割・独占の確立(「のれん」の確保)・

継続した企業活動を維持しその成長をはかるために,企業者はまた,

かれの支配する企業が,永続的に利潤を拡大できるよう指揮しなければ

ならない。つづけてヴェブレンはいう。

「企業者は,このような産業の針路にたいする間接で,いっそう大

きな指導ということをはなれても,個々の産業の針路にたいして,

いっそう持続的で広範な指導をもあたえる。」(pp.41-42)

産業に従事している企業者が,その目的である利潤を手中に収めるた

めには,自己が生産した商品を販売して,生産に費やした以上の価値を

貨幣で受け取らなければならない。だから企業者にとって決定的な点は,

その生産物が販売できるかどうか,ということであって,人びとの役に

たつかどうかではない。もちろん,販売可能であるためには,なんらか

の有用性をもたねばならないが,最高の有用性が最大の利潤を企業者に

あたえるとはかぎらない。したがって,企業者の主要な関心は,かれが

生産する商品に最高の使用価値を与えることではなく,顧客にいかに最

高の価格で買ってもらうかということになる。

手工業体制の時代には,生産者と顧客との個人的接触が密接であった

から,生産者はその製作技能の評判に気をつかっていた。しかし,産業

が大規模に経営されるようになってからは,一つの生産的企業の決定権

をにぎる首脳者は,消費者大衆とのあらゆる個人的接触から遠ざけられ

ているのが普通なので,企業経営は個人的な感情に煩わされずに,利益

と損失を適度に判断した計画のもとでおこなわれるようになった。

そこで,大小の製造業者や商人が,価格を決定するときには,鉄道で

使われている「貨客の負担能力だけの料金」,いいかえれば「とれるだ

けの料金」といった考えが働くものであって,厳密な独占状態を保って

いるばあいには,無条件でこの原理があてはまる。そして,当該企業が

ほとんど独占的性質をもっていなければ,競争がもっとも重要な要因に

なりかねないが,近代産業の範囲内でうまくいっている営利企業で,独

占の要素がまったく欠如しているものがあるかというと,それははなは

だ疑問だ,というのである。この「貨客の負担能力だけの料金」の実例

について,先に述べた『産業委員会報告書』の証言を参照するよう付記

(p.45:注)しているが,高哲男氏は「その内容は,総供給の65-70%を

支配するに至ったU.S.ステール社の価格決定・維持政策に他ならなか

った。」8)と述べていられる。その結果は前述した通りである。

すなわち,「いっそう持続的で広範な指導」とは,独占状態をつくり

だすことによって,継続的な,しかも高い利潤の確保を任務とする企業

者の機能を言いあらわしているわけである。

したがって,その事業の永続を望んでいるようなすべての企業の努力

目標は,できるだけ多くの独占を確立することであって,名声を維持し,

消費者大衆の確信にもとずいた差別的独占を確保するために,「のれん」

》goodwill《と訳されている,取引慣習や企業の評判といった無形の財

産を,ヴェブレンは特に重視した。そしてその実例として,なん百万ド

ルという価格で取引された「アイボリー石鹸会社」の「のれん価値」を

あげている。(p.45:注)

ここでかれが,「『独占』とは,通俗につかわれているような,やや

ルーズな意味であって,『供給の排他的支配』といった厳密な意味では

ない」(p.45:注)と述べていることは,法制的に確立されたものや,立地

とか天然資源といった,排他的な支配を維持できる要素以外にも,こう

した「のれん」のようなはっきりしない性質までをも,独占の要素と考

えていたためである。

そしてさらに,大衆の先入観にもとずいた「のれん」維持の重要な手

段として,不断に広告を継続することの必要性を次のように指摘する。

・10 8)高哲男ウ゛ェフ゛レン研究p.187ミネルウ゛ァ書房1991・12

「広告は,消費者大衆にたいして,貴重な情報や指針をあたえる,

といえるかぎりでは,それは社会にたいする一つの奉仕である。」

(pp.47-48:概要)

としながらも,それが,購買の水路を転換させる競争的目的をもってい

るので,広告に手を抜く事業会社は自己の分け前をうることができなく

なり,「それぞれの会社は,主として他社がやるために,広告をしなけ

ればならないのである。」(p.48) といい,ここで大衆の意識を操作する

ことによって,利潤の永続化をはかろうとする企業体質を明らかにする

のであるが,それは後にガルブレイスによって「依存効果」9)の概念と

して受け継がれた。こうしてかれは,大衆消費社会が企業の主導によっ

て開かれる時代を展望するわけである。時代の風雪に絶えて培われた,

「のれん」は,企業に強固な地位を約束し,その確保は,前節で述べた

企業合同においても,特に重要な対象となった。そして,株式会社とし

て組織された企業に,永続化の基礎を提供することとなったのである。

・・3.株式会社制度の確立と「のれん」の価値・

企業合同を始めとして,企業間の隙間を調整するための所有権の売買

は,それぞれの所有権の価値が,金銭的価値=金額で明示されなければ

不可能である。株式会社という組織形態はその目的に完全に合致したも

のであった。それはまた,企業への資金供給をも容易にしたので,この

企業合同による大企業組織化の時機に,株式会社という組織形態はアメ

リカにおいて広く普及した。

企業への投資が利潤を目的としておこなわれるためには,投資した財

・10 9)J.カ゛ルフ゛レイスゆたかな社会鈴木哲太郎訳p.211−220岩波書店1990・

「生産の増大に対応する消費の増大は,示唆や見栄を通じて

欲望をつくり出すように作用する。……生産者が積極的に,宣伝や販売術によって

欲望をつくり出そうとすることもある。このようにして欲望は生産に依存す

るようになる。」(p.218)・12

産の安定的で,きちんとした増殖がふくまれていなければならない。一

方,企業への信用供与は,それを受けた企業者にたいして,他に比較し

て格差利益を約束する。かくして,「いかなる競争業者も,信用にたよる

慣習をもたずには,企業を収益的にいとなむことが出来ない。」(p.80)ようになった。

「近代的な産業が形成されはじめて以来,二つの主要形態の信用取引が,

投資の目的のために,企業界でひろく用いられていた。それは古い時代か

ら使われていた旧式の貸付であり,もう一つは資金が株式会社に投下され

るばあいの株式である。」(p.92) とヴェブレンはいう。

企業形態としての株式会社は,資本主義の歴史と共に存在する。しかし,

アメリカ合衆国では「19世紀後半期にいたっても,個人および限定された個

人の結合によるパートナーシップという企業形態は広汎に存在した。」10)

そして,「現実に株式の発行によって『資本の社会的動員』が行われ,それ

によって企業が設立・運営されるということが全般的におこなわれるのは,

同国における産業資本の広汎な自生的展開と激烈な競争の過程を通じて

アメリカ資本主義が次の段階に入っていく時期にいたってであった。」11) と

あるように,ヴェブレンが着目した株式会社は,上述してきたような独占企業

の成立過程にある近代株式会社であり,またそれは同時に株式会社制度の

成立過程でもあったのである。

株式は,その支配にたいする決定権を放棄する所有者から,その管理を引

き受ける重役会への,特定の財産部分の移転をもたらすから,一つような発

行会社にたいする発言権はほとんどなく,その代りに明確な配当率が確定し

ているので,一つの投資証券として不特定の投資家に所有されており,社債

の性質をもっている。この点でヴェブレンは,資本と信用との区別があいまい

になったことを認め,従来の「資本」概念を拡張させることになった。

「共同出資や個人経営のような古いやり方のもとでは,資本化の基礎は,ある

特定の会社が所有する物的設備の生産費であった。……しかし,企業の手続

きや企業上の概念が,近代株式会社(もしくは有限責任会社)のイメージによ

って形づくられるようになってからは,資本化の基礎はしだいに変わり,ついに

その基礎は,いまではもはや,所有されている物的設備の生産費によってでは

なく,一つの営業体としての株式会社の収益能力によってあたえられるようにな

る。」(p.109)

このような収益力の資本化の核心は,その「工場の生産費」ではなくて,前節で

述べた「のれん」と呼ばれるものであって,それは後になるとずっと広い意味を

もつようになった,とヴェブレンはいう。それには,確立された慣習的業務関係

,正直な取引の評判,営業権や特権,商標,銘柄,特許権,版権,法律や秘密

によってまもられている特殊工程の排他的な使用,特定の原料資源の排他的な

支配,といったようなものがふくまれる。これらはすべて,社会にたいしてはなん

ら全体的利益を与えるものではないが,その所有者にたいしては格差利益を

あたえる。した

10 12) 優先株ハ株式投資ニ不安ヲ感シ゛ル一般ノ人々ヲ投資ニ誘イ込ムタメノ過渡的ナ

性格ノモノト考エラレル。現在ノ日本テ゛ハ極少数ノ会社カ゛発行シテイル。

12がって「共同出資会社」や「個人会社」が「株式会社」に転換するばあ

いには,新会社は,以前から帰属していた「のれん」の全体をなんらかの方法

で取得するのが普通だし,繁栄しているそれらが,しっかりした「のれん」の基

礎をもっているようなばあいには,現代の企業上の必要から「株式会社」に昇

格すべき運命にある。また「株式会社」が最初から一人前の形ではじまるば

あいにも,営業上の利権とか,特殊な自然資源の支配,あるいは特別の特

許といった資本化の基礎となるような多額の非物質的財貨の集団をともな

わなければ,成功の機会は当てにできないだろう。

そして,近代的株式会社では,これら無形資産を代表するのは普通株であ

り,有形資産はすべて優先株,もしくはその他の債券によって代表される,

と考えるのが企業者の一般的な見解だ,とかれはいう。一たび株式が市場

に出ていった以後においては,このような区別は維持されないだろうが,も

しもその会社の「のれん」に傷がつくようなことがあれば,真先にその影響

を受けるのは普通株の相場である,というのは確かなことであろう。

ヴェブレンがここで,「この種の広範な格差利益が生ずるばあいには,株

式会社形態の組織もやはり発生しやすいのである。」(p.113) といっている

のも,永続的な利潤確保の基礎としての無形資産,すなわち「のれん」の

獲得ないしはその維持と,株式会社への転化ないしは,その設立とを関

連したものとしてみていたということを,よくあらわしている。たとえ永続化

とはいっても,それが自由競争下のものであってみれば,主観的なもので

あることに違いはないが,それだからこそ,いっそう永続化を確実なもの

にするためには,独占状態の確保は必要不可欠であり,「のれん」の基

礎を築き上げることは企業者にとって重要な任務となったのである。

このような企業の株式会社への組織化は,企業の支配形態にも影響を

及ぼし,企業者はさらに別の役割をもつこととなった。

4.企業者の役割3)資本取引(「金融の将帥」の支配)

こうした株式会社組織での資本化の方法は,一方で「経営と産業設備の

所有とのあいだの,ほぼ一般的な分離」(p.116) をもたらしたばかりでな

,会社支配の集中をも促した。

「優先株は,実際,それが代表する財産を,普通株の所有者に永久に

預托する方策であり,そして,これからの受託者は,一定の条件のもと

では,その預托者にたいして,その財産の管理の責任を負わない。こ

の点で,所有者の,その財産にたいする財産関係は極度に薄弱とな

る。」(p.116)

「そして,株式会社の方法が拡大するとともに,このような経営はふた

たび,これらの無形資産の大量を所有する大企業者の手中に集中す

るということがますます事実となる。……,もしも,その保有高がわりあ

いに多額であるならば,それは,そのひとにたいして,比例的な程度よ

りもはるかに大きな企業上の決定権をあたえるであろう。」(p.140)

このような経営権の集中は,他方に多数の証券での所有者を発生させ

て,産業証券の証券市場への登場を促し,資本所有者としての企業者

に新たな利得の場を提供することになった。

「市場性がある資本の評価額の根拠となる収益力は,その過去もしくは

現在の収益力ではなくて,その将来の予想収益力である。それゆえに,

資本市場の変動は,予想される将来の出来事をめぐって旋回する。」

(p.122)

予想収益力の変化がもっとも直接影響をあたえるのは,普通株の相場

によって示される「のれん」の資本化額の変動である,とヴェブレンは考

えた。したがつて経営者は,現実の収益力とおもわれているものと,予

想収益力と評価されたものとの乖離が大きければ,資本の売買による

利得の機会をうることになる。

さらにまた,このような状況のもとでは,企業の経営に当たるものは,予

想収益力と現実の収益力とのあいだに格差をつくりだし,利益を手にす

ることもできる。決定的な時機に巧みに発表される部分的な情報や誤報

は,この種の一時的な格差をつくり出し,経営者が有利にその会社の証

券を売買することを援助するだろう。

「もしも経営者が,しばしばそうであるように,抜け目のない企業者である

ならば,かれらは,その会社の将来の繁栄をはかろうとする意図とか,こ

のような資本の産業的な使用によってつくり出される財貨や労務の生産高

を,引き続いて有利に販売しようとする意図よりもむしろ,その資本を有利

に売ったり買ったりしようとする意図をもって,その会社の業務を経営する

ことを目指すであろう。」(p.125)

つまり,会社資本売買の自由は,経営者の企業的な利害を生産物の社会

的な効用を求めるものでも,またその売れ行きさえ要求するものでもなく,

かれらが管理する資本価格の有利な格差を要求するものとした。ところで,

前述の「企業合同」の過程においても,証券を通した支配力の獲得が,彼

らの任務の一つになるわけであり,資本の所有者として経営を支配する人

びとの株式市場における利害は,いっそう複雑であり広汎なものである。そ

れは,かれらが支配権を握っている財産の売買だけに限らず,いろいろな

企業合同や再編成の運動をつくったり,こわしたりすることにも関係し,その

ための証券操作も必要なこととなる。過失をかくしたり,ときには故意に,そ

のような外観をつくったりすることも企業活動の通例となるといい,「このよう

な株式会社の制度のもとでは,株式会社の業務は,その大部分が,継続事

業としての株式会社のためよりも,むしろその経営者にとって重要な戦術的

目的のために経営される。」(p.128)

と,「産業の将帥」としての企業者の役割に,「金融の将帥」としての動機が加

わったことを,ヴェブレンは明らかにする。

個別企業のもとで盲目的に成長した機械制産業体制は,その企業間の隙間

の調整を不可避とした。企業者は他企業との合同や合併とか,「のれん」の取

得と維持を図り,自己の支配下にある企業の基礎を固めなければ,自分自身

の支配する企業が合併の対象となり,企業界から放逐されなければならなか

った。このような状況のなかで,株式会社の組織形態は,資金を企業へ集中

したり,合同・合併にともなう金銭的取引の要請に合致したため,企業の株式

会社への組織化が急速にすすんだ。その結果は,企業の支配と所有の分離

をもたらし,さらに支配権の集中を促した。こうして企業者は,自他の支配下

にある企業の支配権や所有権そのものを売買する機会をつかみ,生産者とし

ての機能から離れて,そうした取引を通じて多くの利得を手にすることができた。

そしてその成功者は,金融に対する自己の力を駆使して,産業の組織者として

の地位を手に入れることになったのである。

「このような株式会社の制度のもとでは,株式会社の業務は,その大部分が,

継続事業としての株式会社のためよりも,むしろその経営者にとって重要な

戦術的目的のために経営される。」・と,「産業の将帥」としての企業者の役

割に,「金融の将帥」としての動機が加わったことを,ヴェブレンは明らかに

する。

個別企業のもとで盲目的に成長した機械制産業体制は,その企業間の隙間

の調整を不可避とした。企業者は他企業との合同や合併とか,「のれん」の取

得と維持を図り,自己の支配下にある企業の基礎を固めなければ,自分自身

の支配する企業が合併の対象となり,企業界から放逐されなければならなか

った。このような状況のなかで,株式会社の組織形態は,資金を企業へ集中

したり,合同・合併にともなう金銭的取引の要請に合致したため,企業の株

式会社への組織化が急速にすすんだ。その結果は,企業の支配と所有の

分離をもたらし,さらに支配権の集中を促した。こうして企業者は,自他の

支配下にある企業の支配権や所有権そのものを売買する機会をつかみ,

生産者としての機能から離れて,そうした取引を通じて多くの利得を手に

することができた。そしてその成功者は,金融に対する自己の力を駆使し

て,産業の組織者としての地位を手に入れることになったのである。

第3章「金融の将帥」としての企業者12

前章では,機械制産業の発展とともに,変身をつづけてきた企業者を,

生産から独立して,それを指揮し統御する営利企業の指導者としてとら

え,その役割を三つに分けて整理した。すでに明らかなように,この三つ

は互いに独立したものでなく,密接に結びついたものである。企業合同

において,企業に引き続く収益を約束する「のれん」は重要な取引要素

であり,物的資産とともに無形の資産として資本化され,永続性を要請

される株式会社にとって,不可欠な資本取引の対象であった。それを取

得する側も,手放す側も,如何にして自己に有利なように取引を進める

かが,企業者の最大の関心になっていた。これらはすべて,「産業の将

帥」である企業者が,その金融力を通して産業を支配しようとする,「金

融の将帥」としての側面であり,金融の仕事が単に資金の移動にとどま

らず,企業組織の変化を引きおこす要因として登場したことを意味して

いる。それは,生産過程の効率に注意を集中していた,産業革命のこ

ろの企業者との相違を特徴づける,現代的企業者の姿である。この章

ではさらに立ち入って,その機能の解明につとめてみようとおもう。

1.資本市場の操縦

前節で述べたような,市場価値をもつ資本の操作に用いられる証券は,す

でにそれを発行している会社の日常業務に使用されている。それは,有形

無形の資本を代表して,通常の収益率をもたらしているものである。その資

本を取引するということは,自己の投資の二次的な利用を行うことであり,こ

のような,使途の重複によって実現される節約は,企業者にいっそう大きな

利潤をもたらすことになる。そればかりでなく,このような市場性をもつ資本

の操作のほうが,市場性のある生産物を販売しようとする企業経営がもつ

不確実性よりも,いっそう確実な利得をもたらすように思われる。また市場

操縦者は,自己がつくりだす危険の影響を予見できるし,その主体となる

財産の比較的小部分しかもっていないので,操縦をおこなうもの自身より

も,その対象となる株式会社にたいして,多くの影響を及ぼすことになり,

「個人的な富の蓄積にとってそれほど効果的なものは,人類文化の歴史

上,いまだかつてない。」(p.133) と,ヴェブレンはいいきっている。

こうした「市場操作」の意義は,当該財産をなんどでもくりかえして再資本

化できるということであり,それによって対象となった株式会社の資本化

額が増減することである。証券の市場相場によって表示される資本化額

の変動を手段として,金融にたずさわる企業者はその株式会社の盛衰を

左右したり,営利企業の合同や再編成の戦略的仕事をおこなうことがで

きるようになった。

2.合同事業における企業者

企業合同と呼ばれる,産業間の隙間の調整の仕事は,実は「所有権の

隙間」の調整であることを,前章で述べた。会社自体の合同であれ,ト

ラストの結成であれ,所有権の移転,ないしは所有権にともなう支配権

の委譲が,その内容であった。これら大規模な取引を成功させるため

には,発起業者(設立者)自身の手中にか,かれらに融資する信用業

者の手中にか,いずれかに大きな信用の基礎があることが必要であ

る。それにもかかわらず,このような行動に企業者を向かわせた直接

の経済的要因は,たび重なる不況として現れた,市場の需要を上回

る過剰な供給を制限しようとすることであったけれども,一方その過

程でかれらは多くの利益を収めることもできたのだ。しかし,その効

果は他にもあらわれる。その第一は,技術革新や生産管理の変革

を累積することによってもたらされる規模の経済性を,企業の合同

によって短時間のうちに獲得できたことである。第二には,これも長

い時間の経過のなかで培われるはずの「のれん」を,同様に短時間

で取得できたことである。つまり,企業者は「時間」という要素を金銭

的に取得したわけであり,「時間」を金銭で取得しえたものが,同時

に「企業」の支配権をも手中に集中できたのである。この点について

,ヴェブレンは「状況の変化をもたらす時間の経過に依存しないとい

う点で,現在考えられているような,株式や商品の投機とも違ってい

る。」(p.98) といっているが,逆の言い回しをすれば,自己が将来到

達出来るであろうと予測する状態に達するまでの「時間」を,金銭で

取得したのである。したがって,産業を急速に発展させる上において

,その企業の果たす役割は,いっそう大きくなるはずであるが,かれ

は別の側面に注目する。

3.生産のサボタージュ

というのも,すでに述べてきたことではあるけれども,企業者の目的

は利得であり,産業の効率ではない。ヴェブレンのみた規模の経済

性とは,生産面では「負」の経済性であった。

「新しい秩序の機械制産業は,むやみに生産的である。だから,生

産の歩調や量は,市場の負担力―すなわち,その国の産業体制を

支配している企業者にたいして,価格を規準として最大の純収益を

もたらす条件―を考慮して,規制することが必要である。」1)

そうでなければ「過剰生産」や,不況とそれにつづく困難な時期がお

こることは避けられない。だからヴェブレンは,

10 1) T.ウ゛ェフ゛レン技術者ト価格体制小原敬士訳p.14 未来社196212

「したがって,生産の歩調や量は,利用しうる資源,設備および労

働力の生産能力にたいしてではなく,また,その社会の消費財の

必要高にたいしてでもなく,その市場の必要にたいして調整され

なければならない。」2)

と述べ,このような「効率の意識的な撤収」を,産業に関連するあ

らゆる健全な活動的営利企業の知慧の端初としてみるのである。

小規模の生産業者の競争的状態のもとでは,そのような「過剰生

産」は不況や,恐慌のくり返しで,企業者に生産縮小や清算・合併

を強いてきた。だが,その結果として独占的立場をとるにいたった

大企業の,いっそう拡大した生産能力は,常時意識的に生産効率

を引き下げる必要を企業者にもたらした。労働者の怠業に用いら

れる「サボタージュ」という言葉を,このようなかたちで企業者にもち

いたのはヴェブレンだけであるが,

「価格制度の上に組織されているあらゆる社会の公共の福祉は,

サボタージュの健全な行使―……―なしには,維持することができ

ないことを示すことは困難ではあるまい。」3)

といい,サボタージュは,それ自身として非難すべきものではないと

して,そのための政府の役割についても論じているのであるが,そ

れについては次章にゆずる。

サボタージュの意思決定は,労働者の場合は組織された組合にお

いて統一的に行わなければ,その効力は発揮できない。企業にと

っても同様である。できるだけ多くの関連する産業組織を,統一的

意思の支配下に集中する必要がある。企業合同における支配権の

集中は,その要請に応えるものであった。

10 2) T.ウ゛ェフ゛レン技術者ト価格体制小原敬士訳p.15 未来社1962

  1. 同上pp.13-14 12

4.支配権の集中

企業合同が企業者にもたらす利益は,前に述べてきたように,それ

にともなってひきおこされる,資本化額の格差によるものがあったが,

それは一時的なものにすぎない。永続的な利益として,「規模の経済

性」や「のれん」の取得も前述したが,産業を統一的な単一の意思の

もとに支配するという,もう一つの利益が「サボタージュ」の概念によ

っていっそう明らかになった。それは包括的な基礎で実行されること

により,もっともよく管理される。企業合同の,すなわち所有権の隙間

の調整の究極的な目的が,支配権の集中にあったのである。それが

同時に,販売,流通といった企業管理面での規模の経済性でもあっ

たことは,前に述べたとおりである。

「かれの努力の目標は,……大きな企業力の支配権をあたえ,また

できるだけ大きな利得をもたらすような所有関係の状況のもとに,そ

れをつくり出すことである。」(p.31:前掲)

という意味も明確になってくる。

支配の集中が,株式会社としての資本化による,経営と設備の所有と

の分離によって援助されたことは前に述べた。そして,かれらが依然と

して「産業の将帥」としての決定権を行使しつづけたことはかわらないが

,ヴェブレンは後に,新しい技術的秩序をもった,比較的大規模な指導

的産業の場合には,「〔産業の〕将帥の地位は,投資銀行のシンディケイ

トによって奪いとられ,会計学の標準化された日常業務として管理され

るようになった。」4)と述べ,独占的投資金融業者による企業支配の時

代が訪れたことを告げるのである。

10 4) T.ウ゛ェフ゛レン技術者ト価格体制小原敬士訳p.68 未来社196212

このようにみてくると,ヴェブレンのえがく企業者の行動は,企業結合や

技術の革新によって,産業の効率を促進して社会の福祉に効用をもた

らすのも,逆に,かれが「企業者による『サボタージュ』」といったように,

それを阻害しようとするのも,すべては自分自身の利害の判断によるも

のである,ということになる。これは,企業倫理が厳しく論じられる今日

の状況からみればかなり隔たったものとして写るかもしれない。

しかし,「ビジネスは粗暴な仕事であり,道徳的な態度は敗北につながり

やすかった。」5)という特殊な時代に制約されたものであったとしても,そ

の後の経過において,独占禁止法の成立や,インサイダー取引の禁止

など社会の動きにてらしてみれば,ヴェブレンの見方があながち一面だ

けにかたよっていたとはいいきれない。むしろ,それが真実を突いてい

たということは,後に出版されたバーリ・ミーンズの著作の次の一節が

証明している。

「かつては,この〔支配者と所有者の〕利益の対立は,支配者達の利潤

のために1900年から1915年にかけて会社の破滅という極端な形をとっ

て現れた。多くの鉄道会社が,不手際な財務経営の結果,管財人に引

渡された。これらは,ほとんどが支配者集団の利益が原因となってもく

ろまれたことは明らかである。一方では,大量の損失が,その会社の証

券所有者達に転嫁されたのであった。」6)

105) R.ハイルフ゛ロナー世俗ノ思想家タチ八木甫監訳p.259 HBJ出版局1989

  1. A.ハ゛ーリ・G.ミーンス゛近代株式会社ト私有財産北島忠男訳p.151 文雅堂1958 12

14第4章ヴェブレンがみた企業者の今日的意義12

以上みてきたヴェブレン的企業者の現代的な姿を,金融市場を操作する

「金融の将帥」としての営利企業的立場と,一方で生産のサボタージュを

指揮する「産業の将帥」としての産業的立場の2面からまとめ,結論とし

たい。

1.「金融の将帥」(バブルへの道)

「物質的福祉の平均水準は,機械制産業がはじまる以前よりも,ずっと

高い水準に達しているけれども,好況期と不況期のあいだの振動は,

従来と同じくらい広く,また頻繁である。」(p.143)

というヴェブレンのことばは,現在でもあてはまるし,1930年代の大恐慌

もかれの理論どおりの形で起こったといわれている。

前章でのべたように,資本の市場操作で,当該財産をなんどでもくりか

えして資本化できるということは,それが必然的にバブル経済化の傾

向を内包していることを示している。

「のれん」とよばれる無形資産によってもたらされる,将来の予想収益

力を資本化することによって,企業は生産による収益を大きくするこ

とができるが,増大した資本価値はさらに信用供与の基礎となり,い

っそうの資本の増加を可能にする。このような資本の増大は,しばし

ば企業の収益力を資本に見合った水準以下にとどめてしまう。すなわ

ち,予想収益力と実際の収益力との間に明らかな格差が生ずるのだ。

そして,以前に資本化の基礎とされてきた有形資産は,技術の急速

な進歩によって,設備を完了したその日から,陳腐化しその価値を

減じてゆく。こうした信用の膨張にたよる資本主義経済がもつ危険を,

ヴェブレンはすでに見通していたのである。

私たちは,その実例を今もみることができる。現在行われる多くの増

資は,株式の時価を規準として払込価格が決められてきた。数年前

におこったバブル期においては,企業による資金需要は過度に増大

し,転換社債やワラント債がつぎつぎに発行された。株価は予想収

益をおりこんで,あるいはそれ以上に高かったので,それらの転換価

格や行使価格も高値で設定された。その頃発行されたものは,その

後の金利の低下で,極度の値下がりは避けられているものの,大半

が額面を割ったままである。こうして集めた資金を,生産設備に投下

した企業は過剰投資に苦しみ,さらに資金操作や土地で運用した企

業はいっそう困難をかかえて,景気回復の足かせになっているのが

現状である。

ヴェブレンは資本と信用の区別が不明確になったことを,優先株のな

かに見出したのであるが,現在わが国では,転換社債やワラント債が

その役を果たしている。転換社債の場合,社債としてもつか,株式に

転換するかは,所有者の選択であるが,社債といってもほとんどが無

担保であり,株式への転換価格も,予想収益力をおりこんできめられ

た,株価を規準として決められる。ワラント債は,満期まで社債として

の機能は不変であるが,これも発行時の株価を規準として決められ

た行使価格にもとずいて,一定の割合で株式を取得する権利が認め

られている。ヴェブレンが,「資本化の基礎は,……いまではもはや,所

有されている物的設備の生産費によってではなく,一つの営業体としての

株式会社の収益能力によってあたえられるようになる。」(p.109:前掲)と述

べてから,はや1世紀になろうとしているが,いまやその状態は完全に開

花した。日本の企業が銀行の融資依存から脱却して,自ら資本市場での

資金調達に乗り出したのは,それほど古いことではないが,これらの仕事

は,現在の企業にとってきわめて重要な地位を占めるに至っており,資本

市場と結びついた企業内専門家と,証券会社の仕事として,日常の仕事

に組み込まれている。だから特別な「将帥」としての立場は不要になったと

見られ,金融の道をもとめてとびまわる企業者は2流,3流の企業者として

軽蔑されそうである。しかしながら,それは一歩まちがえば企業の浮沈を

左右する,大きな不確実性を中に秘めた決断をともなう。重要な仕事だか

らこそ,有力なスタッフをそろえ,自らは責任をおって決断する「将帥」の将

帥たるところである。J.K.ガルブレイス(1908-)は,

「過去において,企業組織の指導部は,事業家―すなわち,資本の所有ま

たは統御を他の生産諸要素を組織する能力に結びつけ,そしてさらには大

部分の場合,新機軸導入の能力にも結びつけた個人―と同一視された。

現代法人企業の勃興,現代の技術および計画化により必要とされる組織

の出現,ならびに資本所有者の企業統制力からの分離に伴って,地歩の

確立した産業会社では,事業家はもはや個人としては存在していない。」1)

といい,集団の意思決定に参加して専門化した知識,才能あるいは経験

を提供するすべての人が形成する,企業の指導組織にたいして「テクノス

トラクチュア」と呼ぶよう提案した。しかし,衆知を結集したとしても危険を

伴う決断はトップの責任である。ガルブレイスは政府機関の眼で私企業を

見てはいまいか。

2.「産業の将帥」(サボタージュの指揮官)

「かれらは価格や利潤や金融の専門家である。しかも,産業政策のあらゆ

る問題の最後の決定権は依然としてかれらの手中に握られている。かれら

は,訓練と利害によって,金融の将帥である。しかも

10 1) J.カ゛ルフ゛レイス新シイ産業国家第3版都留重人他訳pp.98-99 TBSフ゛リタニカ198012

かれらは,産業上の技能についてのなんら有能な理解をもたずに,依然と

して産業の将帥として完全な決定権を行使しつづける。」2)

ここでヴェブレンは,企業者を産業的には無能なものとみている。にもかか

わらず,かれらはその将帥としての支配権をもちつづけている。だから,株

式会社の生産高の統制が重要なものとなって,生産高の制限による収益的

な価格の維持か,生産原価の引下げによる利潤の維持か,二者からの選

択を迫られたとき,概して経営者は,前者に魅力を感ずるものだという。後

者は企業者の仕事にはなじまないとみる。これがヴェブレンのいうサボタ

ージュであり,今のことばでいえば「生産調整」である。前述したように,必

要なサボタージュは包括的な計画を基礎に行われるとき,したがって,一

国の産業は包括的な連結体制をとっているので,ひとつの中央当局によ

って行われるとき,もっともよく管理されるといい,政府によっておこなわ

れるサボタージュの大きな,そしていつでもみられる実例は,保護関税で

あるとする。そして,企業が政府に要請する,あるいは政府自ら行うもろ

もろの保護的な規制も,その意図は別として,同じような性格のものであ

るとみるのである。

こうみてくると,ヴェブレンのサボタージュは,自由競争の排除を意味し

ていることがわかる。現在しばしばみられる,談合や贈賄もこの種の部

類にはいるわけであるが,ヴェブレンにとっては,企業結合や株式会社

の設立自体がサボタージュであって,「産業の将帥」としての企業者の

役割は,「サボタージュの指揮官」であったわけである。「サボタージュ」

といった否定的な言葉を除去して考えるならば,このような制度は今日

まで続いてきたし,今日でもいろいろな問題を含みながらも,なお健在

あるとみることができよう。

10 2) T.ウ゛ェフ゛レン技術者ト価格体制小原敬士訳p.44 未来社196212

3.現代の営利企業と企業者

金銭的価値に左右される営利企業を,その存立の物理的基礎である

産業から切り離して解明しようとしたことは,ヴェブレンのなによりも大

きな特長であったが,その本質は上述のとおり,バブルとサボタージュ

に帰着した。

かれは,その『企業の理論』の結論で,「〔思考方法において,営利企

業の金銭的思考と対立する〕機械技術や物質科学の追究が決定的

に中止されるということは考えられない。」(p.315) し,「営利企業の利

潤追求が要請する略奪的国家政策の軍国的,復古的,保守的な傾

向は,近代をそれ以前の時代から区別するような文化的様相の減退

につながるから,近代的な営利企業それ自体の衰退をまねく」(pp.31

4-315:概要)として,どちらに向かっても営利企業の完全な支配は,必

然的に過渡的支配であり,営利企業は結局は敗北の運命をもってい

ると予見した。そして,社会の将来は,営利主義的バブル経済やサボ

タージュに走りがちな企業者に託すべきでなく,製作本能によって動か

される産業技術者に託すべきであると,次のような「技術者のソヴィエ

ト」を構想するのである。

「新しくあらわれてくる産業秩序は,旧秩序の欠点を修正するように工

夫される。新しくあらわれる指導者の義務や権能は,それゆえに,旧秩

序がもっともいちじるしく不足していた産業管理のある点に集る。つまり,

それは,資源の適正な配分と,その結果としての,利用することができ

る設備や労働力の完全で,適当に釣合いのとれた雇用であり,また,

仕事の無駄や重複をさけること,消費者にたいする財貨・労務の公正

で十分な供給をはかることである。」3)

10 3) T.ウ゛ェフ゛レン技術者ト価格体制小原敬士訳pp.137-138 未来社196212

しかしながら,その章の冒頭で「このような性質の出来事がいまなお,

いかに遠い将来のことであるかを,……」4)と述べていることからも,

強固な既成秩序の存在する社会的現実をヴェブレンが認識していた

ことは間違いない。

今日,「営利企業」は,ヴェブレンの予見のような,敗北の運命にあるよ

うには見えない。そればかりか,とりわけビッグ・ビジネスといわれる企

業体の分野では,その力を誇示し,文字通り永続的事業体として安定

しているかに見える。もし,その指導力の内容がガルブレイスのいうよ

うに専門化した集団の頭脳に変化したとするならば,ヴェブレンが敗北

を予見した企業者の時代は終わったというべきであろうが,現在でも組

織の上に君臨する企業者は数多く存在する。

ヴェブレンのみた企業者の役割が,永続的な巨大組織を確立する過程

のものであったのに対し,現代の企業者のそれは,確立した組織に選

ばれ,それに奉仕するものの役割である。かれらに,自己の利益を求

めて勝手に企業を処分できる権限はない。いかに支配権を所有権から

切り離したといっても,現代社会は私的所有権の基礎の上に成立して

いる。その否定は,社会体制の変革であり,現代企業の基盤そのもの

を覆すことになる。たとえ形骸化したとはいえ,所有者の権利をおかし

てまで,自己の利益を追求することは,いかなる社会通念も許さない。

そしてもし,いっそう企業の成長を図り,より安定した永続化の基礎をも

った不滅の企業をつくること自体を,企業者としての製作本能の現れと

みるならば,自己の物質的欲求を捨てて,企業をより収益力の高い,安

定したものに育て上げようと考える企業者が現れても不思議ではない。

しかしながら,10 4) T.ウ゛ェフ゛レン技術者ト価格体制小原敬士訳p.135 未来社1962 12

企業者個人の特性にかかわらず,現代の企業社会にヴェブレンがみた,

バブルとサボタージュの経済制度はかわっていない。それを回避すること

はできないとしても,いかにその誘惑を緩和し,社会に奉仕できる企業を

育て上げられるかは,企業者諸氏の肩にかかっている。

異端者として扱われ,生前は冷遇されたヴェブレンではあったが,アメリ

カ経済学会が1957年の年次大会において,生誕100年に当たるヴェブレ

ンに関する分科会を持ったということ自体,かれの影響の大きさを物語っ

ている。「資本主義の社会と文化にたいするかれの鋭い批判は,いまでも

なおけっして時代錯誤とはなっていない。」5)と小原敬士氏が指摘してから,

はや30年を過ぎたが,そのことばは今でも生きつづけている

参考および引用文献12

T.ウ゛ェフ゛レン企業ノ理論小原敬士訳勁草書房1965

T.ウ゛ェフ゛レン有閑階級ノ理論小原敬士訳岩波文庫1961

T.ウ゛ェフ゛レン技術者ト価格体制小原敬士訳未来社1962

J.ト゛ーフマンウ゛ェフ゛レン《ソノ人ト時代》八木甫訳HBJ出版局1983

小原敬士ウ゛ェフ゛レン勁草書房1965

小原敬士ウ゛ェフ゛レンノ社会経済思想岩波書店1966

R.L.ハイルフ゛ロナー世俗ノ思想家タチ八木甫監訳HBJ出版局1989

宇沢弘文経済学ノ考エ方岩波新書1989

高哲男ウ゛ェフ゛レン研究ミネルウ゛ァ書房1991

佐々木晃編著制度派経済学ミネルウ゛ァ書房1991

鈴木圭介編アメリカ経済史U東京大学出版会1988

K.ホ゜ラニー大転換吉沢英成他訳東洋経済新報社1975

J.A.シュンヘ゜ーター経済発展ノ理論塩野谷祐一他訳岩波文庫1977

M.ウ゛ェーハ゛ーフ゜ロテスタンティス゛ムノ倫理ト資本主義ノ精神大塚久雄訳岩波文庫1989

大塚久雄社会科学ニオケル人間岩波新書1977

A.マーシャル経済学原理U馬場啓之助訳東洋経済新報社1966

A.ハ゛ーリ・G.ミーンス゛近代株式会社ト私有財産北島忠男訳文雅堂1958

J.K.カ゛ルフ゛レイスユタカナ社会鈴木哲太郎訳岩波書店1990

J.K.カ゛ルフ゛レイス新シイ産業国家第3版都留重人他訳概BSフ゛リタニカ1980

放送大学印刷教材

  • 近代ノ思想中埜肇1989 ・欧米経済史関口尚志梅津順一1991
  • 社会思想史城塚登1990 ・経済思想間宮陽介坂井素思1992
  • 経済社会論坂井素思1990 ・経済文明論坂井素思1994

論文・小松章「ウ゛ェフ゛レンノ株式会社論」埼玉大学社会科学論集第32号pp.153-188 1973.3

  • 奥木巧「ウ゛ェフ゛レンノ今日的意義」社会思想史研究17号pp.95-101 1993

後記12

「学問の消費者の地位を堪能していたものが,どうやら,生産者の真似事

をやらされているらしい」と気づいたのは,何回かのゼミに出席してからで

ある。途端に“2万字”の重圧は消えてしまった。と同時に,何を生産する

のか,それにはどんな材料が必要なのか,という問題に始めて直面した。

不思議なものでゼミをかさねるごとに,混沌とした状態がだんだん固まっ

てくるありさまは,まことに「見えざる神の手」に導かれているような気分で

あった。その「神の手」とは,ゼミに参加した各位が,私と同じようにかかえ

る問題であることを,先生の「合宿のまとめ」で知らされた。お蔭様で,あ

る程度の時間的余裕をもって進めることができたが,最後がなかなか乗

り越えられず,ギリギリの提出になってしまった。仕上がったものには,当

初書きはじめたときの姿は,跡形もない。そして,その出来ばえのよしあし

は,自分ではわからない。おそらく,見るべき方がご覧になれば噴飯もので

はあろうが,期間中片時も頭から離れなかったことだけは事実である。放送

授業では味わえない充実した半年あまりであった。これもヴェブレンのいう

「製作本能」がよびもどされたからであろうか。

「企業者とはいかなるものであるのか」在職中から抱き続けてきた疑問を少し

でも整理することによって,赤点の零細企業者として40年間蓄積したストレス

を解消し,残された人生に出発できそうである。

最後になったが,懇切なご指導を賜った坂井先生はじめ,ゼミの各位に対し,

厚くお礼を申し述べて稿を終えることにしたい。

おわり

  1. K.ホ゜ラニー大転換吉沢英成他訳pp.3-6:概要東洋経済新報社1975
  2. 小原敬士ウ゛ェフ゛レンノ社会経済思想p.3 岩波書店1966
  3. T.ウ゛ェフ゛レン技術者ト価格体制小原敬士訳p.33 未来社1962
  4. M.ウ゛ェーハ゛ーフ゜ロテスタンティス゛ムノ倫理ト資本主義ノ精神大塚久雄訳p.82 岩波書店1989
  5. A.マーシャル経済学原理U馬場啓之助訳p.289 東洋経済新報社1966
    • ウ゛ェフ゛レンハ,投資ノ自由選択ヲ意味スルマーシャルノ「代替ノ法則」ニツイテ,ソレカ゛重要ナモノトナッタノハ,企業ノ状況カ゛現代的ナ形態ニ近クナッタハ゛アイタ゛ケテ゛アリ,近世初期ノヨウナ企業ノ理論ニトッテハ,タイシテ必要テ゛ナカッタト注記シテイル。(pp.22-23)
  6. A.ハ゛ーリ・G.ミーンス゛近代株式会社ト私有財産北島忠男訳p.438 文雅堂1958
  7. コノウ゛ェフ゛レン独特ノコトハ゛ハ,後ニモ出テクルノテ゛注ヲ加エテオキタイ。(有閑階級ノ理論pp.92-93 小原敬士訳岩波書店1961)

「コノ本能ハ,他ノ事情カ゛ユルスナラハ゛,ヒトヒ゛トヲシテ,生産的ナ能力ヤ,人間ノ役ニタツモノハスヘ゛テ,好意ノ目テ゛ミル気持チヲオコサセル。ソレハヒトヒ゛トヲシテ,物質ナリ労働ナリノ無駄ヲ軽蔑スル気持チヲモタセル。製作本能ハ,万人ノナカニアルノテ゛,キワメテ不都合ナ状況ノモトテ゛モアラワレテクル」

  1. 小原敬士ウ゛ェフ゛レンpp.13-14 勁草書房1965
  2. 坂井素思経済文明論8 放送大学放送授業
  3. 鈴木圭介編アメリカ経済史p.56 東京大学出版会1988
  4. 高哲男ウ゛ェフ゛レン研究pp.176-177 ミネルウ゛ァ書房1991
  5. J.ト゛ーフマンウ゛ェフ゛レン《ソノ人ト時代》八木甫訳p.332 HBJ出版局1983
  6. R.ハイルフ゛ローナー世俗ノ思想家タチ八木甫監訳p.255 HBJ出版局1989
  7. 鈴木圭介編アメリカ経済史p.232 東京大学出版会1988
  8. R.ハイルフ゛ロナー世俗ノ思想家タチ八木甫監訳pp.284-285 HBJ出版局1989
  9. 高哲男ウ゛ェフ゛レン研究p.187 ミネルウ゛ァ書房1991
  10. J.カ゛ルフ゛レイスユタカナ社会鈴木哲太郎訳p.211-220 岩波書店1990 ・「生産ノ増大ニ対応スル消費ノ増大ハ,示唆ヤ見栄ヲ通シ゛テ欲望ヲツクリ出スヨウニ作用スル。……生産者カ゛積極的ニ,宣伝ヤ販売術ニヨッテ欲望ヲツクリ出ソウトスルコトモアル。コノヨウニシテ欲望ハ生産ニ依存スルヨウニナル。」(p.218)

10) 鈴木圭介編アメリカ経済史p.47 東京大学出版会1988

11) 同上pp.49-50

12) 優先株ハ株式投資ニ不安ヲ感シ゛ル一般ノ人々ヲ投資ニ誘イ込ムタメノ過渡的ナ性格ノモノト考エラレル。現在ノ日本テ゛ハ極少数ノ会社カ゛発行シテイル。

  1. T.ウ゛ェフ゛レン技術者ト価格体制小原敬士訳p.14 未来社1962
  2. T.ウ゛ェフ゛レン技術者ト価格体制小原敬士訳p.15 未来社1962
  3. T.ウ゛ェフ゛レン技術者ト価格体制小原敬士訳pp.13-14 未来社1962
  4. T.ウ゛ェフ゛レン技術者ト価格体制小原敬士訳p.68 未来社1962
  5. R.ハイルフ゛ロナー世俗ノ思想家タチ八木甫監訳p.259 HBJ出版局1989
  6. A.ハ゛ーリ・G.ミーンス゛近代株式会社ト私有財産北島忠男訳p.151 文雅堂1958
  7. J.カ゛ルフ゛レイス新シイ産業国家第3版都留重人他訳pp.98-99 TBSフ゛リタニカ1980
  8. T.ウ゛ェフ゛レン技術者ト価格体制小原敬士訳p.44 未来社1962
  9. T.ウ゛ェフ゛レン技術者ト価格体制小原敬士訳pp.137-138 未来社1962
  10. T.ウ゛ェフ゛レン技術者ト価格体制小原敬士訳p.135 未来社196212
  11. 小原敬士ウ゛ェフ゛レンp.5 勁草書房1965

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