−読書ノート−

贅沢の民主化

The Democracy of Luxury 

  消費社会を語るときにかならず使われる言葉に「贅沢の民主化」がある。有名な引用では、米国の文明批評家ブーアスティンが書いた『アメリカ人』のなかで、「民主化された贅沢」という言葉を使っている。また、いまでは消費社会論の古典となっているウィリアムズ『夢の消費革命』のなかでも、この「贅沢の民主化」というフレーズは頻繁に出てくる。

  この言葉が人びとの心をとらえたのは、消費社会を的確に表している言葉だからである。長らく、消費は「必要性」という規準で、語られてきた。ところが、19世紀になって人びとはかならずしも必要性だけでは、消費活動を行わないようになってきていた。このようなときに、「贅沢」という消費の規準が台頭してきた。贅沢は本来貴族の文化に属するものであった。ところが、贅沢が大衆層に浸透して、ときには大衆を「豊か」にし、ときには大衆を「汚染」してきたのである。

  そもそもこの「贅沢の民主化」が初めて使われたのは、19世紀フランス小説家エミール・ゾラの『ボヌール・デ・ダム(The Ladies’ Paradise)』である。このなかで、19世紀を表す象徴的な場面として、百貨店の出現を取り上げた。ゾラは、世界初のデパートであるパリのボン・マルシェと、それを創り出したブシコーをモデルとして描いた。画期的であったのは、単に「大衆社会」の権化として百貨店を描いただけでなく、贅沢への消費者意識の変化を描き、多くの人に影響を与えたことを知らしめた点である。

   当時の様子を知るためには、この小説の有名な内容を追ってみるのがよい。大正時代に翻訳された『ボヌール・デ・ダム』が、今年になって「本の友社」から復刊された。大正11年に東京の天佑社から、三上於菟吉訳で『貴女の楽園』と題して出版されたものである。

  さっそく、今回この本を読むきっかけとなった言葉「贅沢の民主化」を探してみる。ところが残念なことに、この復刻邦訳版にはこの言葉そのものはまったく載っていない。もっとも、この邦訳は読みやすくするために、しばしば数段落を省略している。だから、この省略部分にこの言葉が含まれている恐れはある。

   ちょっとニュアンスは異なるが、このフレーズを彷彿とさせるようなところは随所にみられる。第十章のはじめに、「一寸した贅沢品(little luxuries)」という語句を見つけることができる。この言葉がどのようなものを指しているかと言えば、「レースで覆われた赤い羽根布団、衣裳戸棚の前にひく小さな絨毯、そして化粧机を飾る青硝子の花瓶」をあげている。まぎれもなく、貴族の求める贅沢ではなく、大衆が求めて可能な「贅沢」を示している。百貨店というところでは、貴族のために商品が売られるのではなく、大衆のために商品が売られるのである。けれども、その内容は、大衆の必要とするものとして売られているのだがあたかも貴族が求めるかのように見えて、しかも大衆にも手の届くような商品であった。このように百貨店文化というものが、貴族の消費文化から大衆の消費文化へ橋渡しをしたことは間違いないことがわかる。それは、このようなちょっとした言葉の端々に現れている。

  ブーアスティンは、百貨店のことを「消費者の宮殿」とよんでいる。これに類した呼び方が、『ボヌール・デ・ダム』にもみることができる。この小説の中心的な場所である百貨店が拡張計画を持っており、この計画が完成すれば、この地域に「商業の巨大な宮殿のような大建築(the giant palace of commerce) 」ができあがることになる。この百貨店主は、情熱を傾けて、スポンサーである男爵を説得することになる。この時代に、小売り商業の中心となっていたのは、専門店街を形成していた「パッサージュ」である。小売商店中心の分権的な商業が発達していた。それに対して、商業の集積を狙った百貨店が現れることになる。宮殿というイメージは、やはり権力というものを想起させる。大型店の進出で、まわりの小さな小売店が軒並みやられてしまう、という今日的な問題がすでに描かれている。ゾラの採用した「宮殿」というアナロジーがこの時代とそのあとの時代を描くのに最適なものであったことは確かなことである。

   最後に、ここで「贅沢の民主化」という言葉の探索に話を戻したい。この邦訳には、この言葉が使われていないことは先程述べたとおりである。ところが、無駄ではないかと考えつつも、英訳本に当たってみる。すると、「making luxury democratic」という箇所を第三章に見つけることができる。この部分の邦訳は意訳されており、「流行を普及させていく」となっている。これでは、探しても見つかるわけがない。わかりやすさではこの邦訳の方に分がある。けれども、資料としてみると、文意が曲げられてしまっているのは、たいへん残念なことである。

   さて、今日この『ボヌール・デ・ダム』を読んでも、小説としては決して面白いものではない。けれども、この小説は19世紀百貨店文化の克明な描写を行っており、消費社会への重要な視点を与えていることで、十分に社会科学的な意味を持っており、このため過去を振り返ってみるうえで、今日でも確実に存在理由を保っているといえよう。(Sakai Motoshi)

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